リベラルを掲げる民主主義は自壊する(動画あり)

2016年11月16日(水) at 2:03 PM 未分類.

 ここまで米国は劣化していたのか。

 名前は失念しましたが、同じことを何人かのパヨ系著名人がつぶやいていましたがベクトルは正反対。ヒラリー支持者の暴徒化、及びトランプ支持派への怨嗟の声に、米国の劣化を見つけ、それは米国型民主主義が持つ致命的欠陥であり宿命ではないか、まるで今年ノーベル賞を受賞した「オートファジー」のように。という話し。

 本稿で提起する仮説はこちら。

『民主主義は自壊する構造になっている』

 正確には「リベラル」を掲げる民主主義で、臨界点まで膨脹すると、構造的に支えきれず、民主主義のシステムが民主主義を壊すのではないかという論考。

 安心してください。簡単な話しです。身近な事例がありますので。

 精神科医を自称するタレントの香山リカ氏は、アメリカ大統領選挙が開票される前、こんなツイートを拡散していました。

《(略)クリントンが勝ってもトランプの支持者がおとなしく受け入れると思えない。あとは結果を待つのみか…》

 結果は真逆(まさか)の展開。
 トランプ氏大勝利に暴徒化したのはヒラリー支持派です。

 トランプ勝利後、こんな動画が拡散されています。動画の説明には女子高生とあります。屋外のテラスのような場所で、白人JKと黒人JKが言い争いというか、黒人JKが言いがかりをつけているようで、白人JKはウンザリという表情ながら、時折聞こえる「トランプ」から、白人はトランプ支持で黒人はその反対。

 しばらくもせず殴りかかったのは黒人JK。白人JKの髪の毛を掴み引きずり倒し、地面に腰を落とした白人JKを、背後から右拳を頭部をめがけて振り下ろし、執拗に連打。

 動画手前には男子JKらしき人物が映っていますが、仲裁するそぶりすらありません。

■動画はこちら

 先週触れた「ポリティカル・コレクトネス」なのでしょう。

 直訳では政治的公正さを意味しますが、すべての少数派を差別しないと掲げ、その為のあらゆる手段を講じようとする政治ムーブメントです。

 黒人系のオバマ大統領により深掘りされたと言われています。

 ちなみに米国の大統領選挙は、おおよそ8年ごとに民主党と共和党で政権交代が起こっており、民主党のバラク・オバマの8年の後、共和党の代表選に勝ち残ったドナルド・トランプが勝っただけとみれば、なんてことない予定調和で、米国的二大政党制が発揮する健全な新陳代謝に過ぎませんが、こう評する有識者はあまり多くありません。

 前回の政権交代、オバマ勝利のときに、共和党支持者は息子ブッシュの失政を嘆きつつ、「いつものことだ」と自分を慰めていた姿は、ヒラリー支持者の暴動と対照的です。

 仮に白人男子が、攻撃される白人JKを守ったとすれば、トランプ支持=人種差別主義者とレッテルを貼られることを怖れたのかもしれません。そこに「義」も「和」もありません。もちろん古き良き「マッチョ」な米国男子の姿もありません。

 こんな動画もありました。

 学校の模擬選挙でトランプに投票したという8才の息子にヒラリー支持者の母親が「家を出ていけ! さもなければ“僕はトランプに票を入れたので立たされています”と言う看板を持って外にでていろ!」と恫喝した動画が拡散。黒人家庭のようです。

「いつもテレビばかり見ているからトランプに票を入れるんだ。おまえはもう、ウチのテレビを見ちゃ行けない」

 と愛すべき我が子を脅迫。一般論で8才児の行動は親の躾の範疇で、至らないのは親の教育であるはずとは、日本国内でのみ通じる価値観なのでしょうか。

 拡散された動画により、日本で言うところの「児相(児童相談所)」が動き、児童虐待の容疑で捜査が進められています。母親は「イタズラだった(ドッキリ)」といいますが、それを信じるにしても悪質に過ぎます。

 エキセントリックな母親の恫喝と脅迫、洋の東西を問わずヒステリックで、子供にとってはこの世の終わりを思わせる恐怖の到来で、英語を理解しない私に出さえ「むき出しの感情」をぶつけているだけの憎悪を確認します。

■動画はこちら

 さらに、暴行現場の動画と、被害者の証言のみとはいえ、あまりに衝撃的な動画が確認されています。

■動画はこちら (※衝撃的です)

 被害者は白人男性で、被害後の証言で、興奮のためか暴行によるものか話は前後しているのですが、整理するとこんな感じ。

1)交通事故の仲裁だか助けに入った(あるいは本人が事故を起こし)白人男性がクルマから降りる

2)近くのバス停にいた黒人のアメリカ人にトランプに投票しただろと問いかけられる

3)あぁそうだと返事したら、どこからともかく数人の黒人が現れて袋だたき

4)白人男性はリンチに遭った上に自動車を奪われる

 ネットを見る限り、反トランプ派はなんでもありです。

 「トランプ支持」を「人種差別」と読み替えて、憲法が定める表現の自由も、法律が定めるはずの暴力や強盗からの保護が与えられないとするならば、現代に蘇る「魔女狩り」です。

 ウィキリークスが伝えるところによると、各地の暴動を扇動しているのは韓国人との噂(実名入り)もありますが、ここで紹介した動画は同時多発的なもので、動員されたものではありません。

 レディ・ガガやマドンナといった、ヒラリー支持派のスーパーセレブの態度も潔いとは言えません。暴力は用いず、どちらも「パフォーマンス」の好きなタレントという面からみれば、むしろ予定調和なのかも知れませんが、選挙結果に従うのが民主主義のはず。

 とりわけ「自由」を語源とするリベラルは、己の自由を大切にする以上、相手の自由、自己決定権を尊重する、という前提はどこへやらです。

 ヒラリーが所属する米国民主党はリベラルを自負しており、その支持者もまたリベラルを肯定するはずながら、そのリベラル共が認めるリベラルとは、己の認めるリベラルだけとは、どこのジャイアンだという話しですが、日本のリベラル=パヨクも同じなのが不思議です。

 日本の政治的リベラル勢力(後のパヨク)は、日本共産党や社会党といった左翼と同義で、とりわけ共産党が、いまだに「破壊活動防止法(破防法)に基づく調査対象団体」であるのは「敵の出方論」があるからで、これは相手が暴力的なら暴力で応じるよ、と優しく表現すればそういうものであり、端的にいえば

「暴力も辞さない」

 を慣用句ではなく、本気で信じている節にあります。母胎となったソ連が革命という暴力から生まれたのですからさもありなん。

 沖縄における機動隊の「土人」発言で、基地反対派とパヨク、左派系のマスコミは「差別」を論点に据えたがりますが、その現場では「暴力的」な挑発が繰り返されており、東京大学東洋文化研究所教授 安冨歩氏は「琉球新報」で、日本国との闘争という文脈から《どうすればこちらが暴力を使わずに、相手を挑発して暴力を使わせるか、ということ》とアドバイスする始末。

 これ逆の立場で同じことを言えば、朝日新聞や報道ステーションあたりが発狂して報じることでしょうにスルー。報道しない自由を行使します。

 国政選挙の結果、憲法改正も視野にはいるほどの付託を受けた安倍政権を「独裁」と断じ、水増しした主催者発表による「デモ」という実力的「示威行動」を民意と強弁する姿も同じです。

 他にも「ヘイトスピーチ」に反対する集団が、暴力的恫喝を繰り返している事例もアリ、言論の機会を脅迫や恫喝でつぶすことなど日常茶飯事で、私のマイナビの連載が打ち切られたのも彼らの恫喝にマイナビ上層部が屈したからです。

 これは完全に余談ながら、先日、マイナビから「振込手数料」の返金の案内が届きました。いままでの支払いで、引かれていた手数料が会社の方針変更で返金されるというのです。

 下請け虐めの認定を避けるためなのでしょうが、数千円が振り込まれたので、それで「月刊正論」を購入し、かつての担当編集者に送りつけておきました。「ありがとうパヨク」と感謝を込めて。

 実際、マイナビの打ち切りがなければ、月刊正論に機会を得ることは・・・あったと胸を張りたいところですが、少なくともこんなに早く連載という形になってはいなかったので。

 というわけで絶賛発売中「月刊正論」。お読みの方は、保存用。保存用をお持ちなら、転売用にお買い求めください。

 ・・・コホン。

 とにかくリベラルを語る勢力は暴力を容認します。繰り返しになりますが、日本のそれはソ連のDNAを受け継ぐので当然ながら、米国もそうでした。

 リベラルの対抗勢力、米国共和党もそう位置づけられる「保守」について考えてみます。

 漫画家の小林よしのり氏のようなエキセントリックな「自称保守」もいますが、私は

「そもそも保守などない説」

 を支持します。

 急進的な改革派を意味するリベラルが生まれたとき、それと対を成すために用意される概念が「保守」で、平時からの「保守」というのは存在しない。なぜなら、受け継いできた文化、風俗、価値観諸々を踏まえ、現時点で共有する価値観が「保守」となるから、という説です。

 だから、その時代を生きる国民の「多数」が受け入れるであろう事案に反対する「保守派」はおらず、それは「守旧派」とか「伝統派」「権威主義」とか呼ぶもので、とりわけ変化すると決まってしまえば柔軟に取り入れる、それは一神教の縛りがないことも理由ですが、つまりはそんな日本国民において「リベラル」が「ゆるやかな自由(変化)」を意味するのなら、保守との区別はそもそも論でなくなる、というもの。

 学説を引きたいところですが、学がないのですいません。

 世界に目を転じます。右翼と左翼が生まれたのは、フランス議会における王政派と市民派の席次で、乱暴な腑分けながら体制派と改革派に分けることができ、さらに語弊を怖れず転じ、保守とリベラルに分けたとします。

 さて、リベラル=改革としたとき、その改革の目指す地平はどこでしょうか。既存システムがあるから改革できるのであって、改革を果たしたならば何をするのでしょうか。これを突きつめていくと、待ち受ける運命は「自壊」でなければ「保守化」です。

 改革を果たし、それが一般国民の生活と文化に溶け込んだとき、それはすでに「保守」に組み込まれます。国内でもっとも顕著な例は、中田英寿が金髪にしたとき、木村拓哉が茶髪にした当時、上場企業の社員であることも多い女子アナの「染毛」は、批判の対象となることもありましたが、いまや「皆様のNHK」だって普通に茶髪です。いまさら、女性の染毛を非難する「保守派」はいないでしょう。

 髪色革命、ともいえる染毛ブームにより、すくなくとも茶髪は市民権を得たのです。個人の自由と、伝統の改革は果たされました。その時点でリベラル(改革)は保守に組み込まれます。

 ファッションで言えば、先日「シャツの裾をイン」することをダサいという女子高生の会話を耳にしました。しかし、「チェッカーズ」が大ブレイクする前、シャツはインするものでした。

 浜田省吾、尾崎豊、吉田栄作が、ジーンズにTシャツをインしている理由ですが、いまやシャツのインアウトはファッション的選択に過ぎず、「だらしない」と眉根を寄せる人は少数派に転落しています。

「改革」のみをテーゼとする存在にとって、改革こそがすべてで、泳ぎを止めると死んでしまうマグロのように、改革し続けなければレーゾンデートル(存在理由)をなくしてしまいます。

 この恐怖心に駆られたリベラル派が、より過激に、より性急に「チェンジ」を求め、それがオバマ政権を生み出し、ヒラリーへの熱狂的な支持へとつながり、トランプ大統領という現実に足を止めてしまえば、死んでしまうという恐怖心が「暴徒」へと繋がった。

 つまり、達成とするか、妥協とみるか、折り合いとして受け入れるかの「保守化」を拒絶することで、改革のみが目的化され、最後は改革のための改革と、批判の刃が己に向かう姿は、日本においては民進党が体現しています。

 時の与党の自公政権の、やることなすこと批判し否定し、「政権交代」という改革、すなわち手段が目的化し自分を見失い、本当に政権がとれちゃったら自縄自縛。

 「君子豹変す」の格言のように、リーダーは間違いを改めることを怖れてはなりませんが、改革という手段が目的化した民主党が選んだ道は「内ゲバ」の果ての「分裂」です。我こそは改革派と元祖民主党、本家民主党、やっぱり自由党とバラバラに。

 そして文字通り「民主党」は崩壊しました。看板を掛け替えましたが、改革を目的化している限り、四分五裂を繰り返して、いずれもせずに消滅することでしょう。

 話しをリベラル民主主義に戻せば、「改革」を果たした先に保守化をしなければ、改革のための改革を求めるようになり、それはまるで大隅良典博士がノーベル賞を受賞した「オートファージ」のように、自らの細胞内の栄養素を食い尽くし、補給がなければいずれ死滅します。つまりは自壊です。

 一方、リベラルを「自由」としたとき、その自由の定義が必ず軋轢を生みます。ある人にとっての自由が、他人の自由を侵すことがあり、その妥協点として法律やコンセンサスがあるのですが、自由をテーゼとした瞬間、そこに待つのは野蛮への回帰で、ヒラリーを求める自由、トランプを否定する自由という名の暴力を謳歌しているのが、今の米国におけるデモと暴動です。

 自由は一定程度制限される。この当たり前を民衆が受け入れない限り民主主義は野蛮へと回帰します。

 いぜれにせよ、リベラルをテーゼとする民主主義は自壊に向かうということです。オバマが「チェンジ」と掲げたときから、トランプ現象は始まっているとみるべきでしょう。

 これは民主主義を、リベラルと保守で色分けしたとき、それは二抗対立、善悪二元論の幼稚な発想で捉えたときに迎える必然。ということです。

 もちろん、リベラルを自称し、その名に値する学者や政治家、知識人もいますが、そういう人たちは、二抗対立という単純化を嫌います。

 自由には制限が伴い、それは責任でもあり、改革を果たした先にはそれを維持するための保守化が待っている。字面からすれば「矛盾」に映っても、それは「言葉遊び」というものに過ぎませんが、言葉遊びに拘泥する幼稚さもまた、自称リベラル勢力が世界中で息詰まっている理由のひとつです。


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