恋愛至上主義が生みだした子殺し母

「低位順応の連鎖」にハマリ

「自分以外の誰かが得をするとムカツク病」

が発病すると、他人がやっていて自分ができないことは当然損す
る行為となります。

誰かが浦安ネズミーランドにいっているのに自分がいけなければ、
それはすなわち怒りにつながります。

家族旅行にいったときけば、行かなければ気が済みません。

携帯電話は誰もが使っているので、当然自分だって使い倒さなけ
ればむかつきます。

その結果、子供の給食費を払えなくても仕方がありません。

義務教育なんだからという理由も実は嘘。

「どうして私が子供のために損をしなければならないの?」

・・・損か得かで見ているので、真っ当な論理なんか通用しません。

そこにメディアによる

「幾つになっても恋をしなくっちゃ♪」

という毒電波の洗脳が事態を悪化させています。

不倫という言葉で包み隠して「不貞」や「姦通」を受認させました。

その昔は

「老いらくの恋」

と呼ばれたものを美談に仕立て上げます。
もちろん、私も悪いとは思いませんが、こういう話しを聞いたこ
とがないでしょうか?

「結婚してても恋愛しなくっちゃ♪」

優等生的な解答としては「配偶者」に対しての啓蒙ですが、ここ
から派生して、

「心の浮気」

なんてものがでてきて、プラトニックならと推奨する向きがあり
ました。

「誰でも情欲を抱き女を見る者は
すでに心の中で姦淫の罪を犯している」

「汝姦淫するなかれ」を知ったときに、神様に頭の中が覗かれてい
るんだとドキドキした思春期の私には信じられませんが、大人にな
るにつれ、現実的打算と言い訳として大変便利な言葉が

「思っているだけ」

だと気がつきました。

世の中、理想的な精神を維持できる人と、劣情に流される人の
どちらが多いかと訊ねたら

「チャンスさえあれば」

と答えるのではないでしょうか。

そうして

「ただれた関係」

が一般化して

「幾つになっても恋をしなくちゃ」

と肉体関係を含んでいても「恋」となりました。

男は幾つになっても大抵がむき出しの馬鹿で、なかなか立派な男
にレベルアップするのが難しくあがいており、中には男にもなれない
小僧のままな年齢を重ねている生き物も少なくありません。

一方、女性は生まれたときから女です。

※一般論の話しですし、これは肉体的というより精神の話し。
おすぎとピーコさんが「生まれたときからオカマ」と言っている
ように肉体の性ではなく心の。

当時4才の姪の媚びは大人のそれと遜色がありませんでした。

しかし、女性は女から母に変態します。
女でなくなるというより母としての人格が強くなるのです。
母性という奴です。

私は男に生まれたことに後悔していませんが、ヒラリと軽やかに
女から母に変わっていく様を、友人や姉妹を見ていると

「凄い」

と・・・命のプログラムの偉大さを見せつけられる気がします。

ところが現代。

「母」

であると同時に

「女」

であれとメディアが脅迫します。

そして他人が恋愛しているのなら自分も恋愛します。
子供がいてもダンナがいても関係がありませんし、ダンナ
がいなければ

「ウェルカムボーイ」

です。
昔はここで「人の親なんだから」というワクチンが、社会的にも
モラルとしても注射されていましたが、

「自分以外の誰かが得をするとムカツク病」

が発症している患者の場合、ワクチンは意味を持ちません。

「子供に自分の恋愛を邪魔されることはすなわち損」

子供といえども他人なのです。

と、いうどこかの教育評論家の全く別の意味で使っている言葉を
引っ張ってきて自己弁護します。

すると・・・子供が邪魔になります。

だって自分の人生・・・もとい

「自分の恋路を邪魔する存在が我が子」

なのです。
そして虐待も同じです。

前の彼氏はポニーテール好きで、今の彼氏は「聖子ちゃんカット」。

・・・古すぎて一瞬脳死しましたが、さて、この時の彼女の髪型は
どちらでしょう?

恋愛にはまる「女」に取って、「今彼」の言葉は人生における

「気づき」

のように胡散臭くても正しくなります。

ましてや「前夫」との間の子供であれば、

「半分は相手の責任のもの」

です。書いていて悲しすぎて涙がとまりませんが、我が子でも人
でもないのです。

人生を楽しむのは結構なことです。
恋をするのもいいでしょう。

損をしたくない。誰よりも得をしたい。そして誰かが得をするの
は自分の損という風潮の下敷き、権利の主張仕方を体現して教えて
くれた赤い思想を持った教師たち。

「子供の親」という「社会的責任」よりも「自分の権利」を主張す
るのは「権利には義務が伴う」ことを教えなかったことが大きいで
しょう。

そして、メディアが囁く

「幾つになっても恋をしましょう」

が、奪ってしまった小さな命が幾つあるのでしょうか。
もちろん、直接的な因果関係はありませんが。

「恋をしましょう」

ってもの凄く馬鹿馬鹿しくて害悪を垂れ流してるのです。

・・・だって恋って

「気がついたらときめいていたもの」

でしょう。啓蒙されてするもんじゃぁないのですよ。
メルヘンチックでスイマセン。

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