下方硬直性ではなく低位順応の連続性で

前回の訂正をさせて下さい。

>この偏差値が下がる方向(ベクトル)で固まってしまいます。
>これが「下方硬直性」で

としていましたが、経済用語などで使われる「下方硬直性」とは

「下方向が硬いため維持か上方向しかいけない状態」

として使われており、用語としてみると正反対となります。
造語感覚で

「下方向に進むベクトルで突き進む」

という意味で使ってしまいました。すいません。

そこで前回の「偏差値が下がる方向で固まってしまう」を

「下位順応」

としようと思ったのですが、これでは一段下がった時点で止まり
そうなので

「低位順応の連続性」

なんてどうでしょう。
これは・・・週末調べた限りでは完全な造語でした。

なにはともあれ失礼しました。

「下方硬直性」

は上方向へのベクトルで固定されている状態です。

とある読者よりご指摘いただきました。
本当にありがとうございました。

この週末、訂正号をだすにあたり、

「低位順応の連続性」にしようか「低位順応の連鎖」

にしようか迷ったのですが、言葉のイメージとして、

「連鎖=水平方向」
「連続=続いてる(ベクトル)」

として連続性で行くことにしましたが、実はもの凄く悩んだのが
低位順応は連鎖も同時に引き起こすからです。

特に現代日本では

「1円でも損をしたくない症候群(シンドローム)」

が肩こりと並ぶ国民病となりつつあります。

感染期の初期症状としては

「ちょっとでも得な物、少し得をしたい」

という他愛のない物で、これは「自己の内面的な喜び」でした。

商店街の肉屋の「ちょっとおまけ」や、馴染みの居酒屋で

「いつもありがとう」

といってちょっとした小鉢をサービスして貰う喜びです。
至極真っ当な庶民感情といえるでしょう。

そして昔の日本人にはこの「おまけ」に感謝する気持ちがあり
また、おまけがない状態を当たり前と思える「謙虚」さが抗体と
なり発病にまで至るのは極々希だったのです。

ところがこの「抗体」が消失した現代日本人は

「ちょっとしたサービス」

を当たり前と思うようになりました。
隣のテーブルの常連さんがサービスを受けると「こちらも」と
いけ図々しく同等のサービスを主張します。

さらにお店のサポーターであったはずの常連もその「権利」を
行使し始め、いつも特別扱いを要求してフーリガンと化します。

これは「発症期」で、病状は更に悪化して病名が変わります。

「自分以外の誰かが得をするとムカツク病」

です。他者への配慮なんてありません。
謙虚と検挙の区別も怪しくなります。
渋滞の合流路でも絶対に道を譲りません。
電車の中から電話をするのを、100万人に1人でもやっている
限り

「他の奴もやっている」

と譲らなくなります。
飲酒運転だって同じです。

これは低位順応の連鎖で、全く別件、別条件の比較であっても
自分が得するためなら援用して引用します。

そして連鎖して広まった「低位」に向かう社会は、次第にその
重さに絶えきれずに床が抜け、更に低位に移行していきます。

だれよりちょっと得したい。

これ自体を否定するほど聖人君子じゃありませんが、本当に
「ちょっと」なのかどうかはできるだけ気をつけるようにしています。

・・・本性が強欲なので自戒を込めて。

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