人権派は報道の自由をどう考える

さて・・・あの死姦陵辱連続殺人鬼の話しでもちきりですし、
やはりとりあげないわけにもいかないのかと考えるのですが、
しかし、私の主張は「被告」の表現からも以前と一切変わりません。

と、いうわけで事件についてではなく、最近首をひねることが
多い「司法」について。

裁判とは「法」に基づいて正否を判断し、応じた罰を科すもの
です。

ここで重要なことはそもそも論としての

「法は万能か。法は必ずしも正しいか」

ということを論じる場ではないということです。
これは学者の仕事であり「そもそも」の法律を作る「立法」の
議論です。ま、その立法機関がねじれで評稼ぎの場となり、
その裏で利権(お金)の綱引きをしているのも棚上げしないと
いけないところが悲しいですが。

刃先の鈍った斧をもった木こりがいました。
木を切れと命じられます。切り味が鈍くてもそれなりに使い
木を切るのが木こりの仕事です。

切れないと文句を言うのは簡単ですし、失敗した後に斧に責任
転嫁するのはいただけません。

そして木こりは木を切るのが仕事で、

「斧評論家」

ではありません。

先日の「自衛隊の海外派兵は違憲」とつぶやき、更にその
つぶやきも自らの口でいわずに、とっとと逃げ出した・・・もとい
退官した青山邦夫(裁判長)氏。

ザックリとかいつまんでいるので子細詳細は各自にお任せしますが

「自衛隊の海外派兵で被害を被ったから保証しろ」

が「市民団体」の訴えです。そして退けました。
訴えられた国の「勝ち」です。ところが「傍論」というつぶやき
で違憲とぽつりと。これをもって「市民団体」を筆頭に、左利きの
新聞社は狂喜乱舞しかき立てましたが、傍論はつぶやき、

「判決は負け」

なのです。木こりのつぶやきに大騒ぎです。

そして何より、「判断は法に基づく」ものでなければ

「法治国家」

ではありません。このつぶやきシロー、もとい「つぶやき邦夫」氏
の言葉を持って「違憲」と大騒ぎするということは日本が法にもと
づいて判断を下す国ではなく、裁判官の気分や思想、心情で裁かれる
「人治」の国ということになります。これでは、カルフールに官製デモを
仕掛けているご近所と同じです。

訴えられた国が「勝訴」したことにより、この判決を覆す術は
ありません。つぶやき邦夫氏はすでに「退官」しております。

高校受験の際、とある中堅私立高校を受験しました。そこで
売っていたのは「喧嘩」でした。粗忽な私は即買いました。

試験会場で暴れようとする刹那、試験官が入室しとりあえず矛を
治めました。高い金を払って受験してつまみ出されたことがばれた
ら亡父のどんな折檻がまっているかと身震いしてです。

試験が終わりお茶の水駅に向かう道程、喧嘩の売人を見つけました。
セール当時は二人組で、まとめて買うつもりだったのですが、
見失った後にひとり減っていました。幸運にも「売り気」だった
売人が残っていたのでよしとしましょう。

昭和の子供は大通りでの喧嘩はしません。
人通りが絶えるのを待ちます。

売人はちらちらと振り返りつつ、駅への歩みが早くなります。
しっかりと追います。スリップストリームのように背後霊のように。

駅に着きました。ホームにおります。これ以上は待てません。
駅にはトイレがあるのでそこでいいやと意を決します。

「ねぇ、君! 僕になにか用があったんじゃない?」

なにぶん20年以上前につき記憶が美化されていることを
お許しください。

喧嘩を特売していたはずの彼は早々に店じまいをしていたようで
いなくなったもうひとりに責任を押しつけ、土下座をせんばかり
の勢いで「ごめんね」を繰りかえします。

喧嘩は勝っても負けてもリスクを背負います。
やらないで済むなら越したことありません。第一、情けない
程に手のひらを返して謝る人間を相手にできません。

「気をつけた方がいいよ」

と、恩赦を与えました。
その後も電車がくるまで平謝りを続けます。
彼の乗る電車が先にやってきました。頭を下げながら

「お先に失礼します」

と乗り込みます。
ぷるるると、警笛が鳴り扉がしまる刹那。

「ば〜か」

・・・もうどうにもなりません。名前も学校も分かりません。

傍論違憲騒動で思い出した記憶です。

話しを「司法」に戻します。

昨日、ちょっと首をかしげる判決がでました。
こちらも「ざっくり」紹介するとこうなります。

「オリコンランキングは操作可能と雑誌にコメントした
ジャーナリストが名誉棄損で個人に賠償命令」

都市伝説としてのランキング操作は昭和の頃からいわれて
おり、ジャニーズ事務所のタレントについてなどはクラスの
話題の中心でした。

「マッチの2位はおかしい。●菜とのことで社長が怒った」
「トシちゃんは実は××だけど▲▲で■■だ」

小中学生のころの話しです。

互いが証拠として提出したものを見る限り特筆すべきものは
どちらもなく、オリコン以外のランキングとの対比をだした
ジャーナリストに新味を覚えるぐらいです。

ただ、全てを見たわけではないのでどちらがとは判じませ
んが、首をかしげるのは

「出版社ではなくジャーナリスト個人への賠償命令」

という点です。
個人と企業が法廷闘争するのは現実的ではありません。
資金面もそうでうし、提出する証拠集めから出廷する時間の
確保、団体対個人という精神面の負担も相当です。

ジャーナリストが個人で発言したのではなく、雑誌に掲載
されたもので、それに対して「個人だけ」の責任と判じるこ
とは自由な言論を封殺する危険性があります。

訴えたのはオリコン側。そしてオリコンは「個人」を
相手に訴訟を起こしました。狙い撃ちという指摘もあります。

一般の方には知られていませんが、出版物に関しては
編集者による整理や校閲で手が加えられます。また、
その記事を掲載するという決断をし発表されます。

本件でいえばジャーナリストは「コメント」として寄せて
いるということは、編集者の手が加えられていることでしょう。

にもかかわらず個人だけに責任があるとしたのです。
「連帯責任」でもありません。

今回の判決がまかり通れば、企業も出版社も政治屋さんも
費用や人員、体制面から「裁判体力」が自分より低いと見た
ジャーナリストや作家を狙い撃ちできるということです。

これまでは著作物、寄稿記事は出版社と著者は応分の
責任となっていましたが、個人だけでも責任を問えるとなれ
ば・・・

「新聞雑誌も匿名記事で溢れかえる」

ことでしか個人は自己防衛できません。

オリコンは自社の利益のために「法廷戦術」を駆使しました。
そして裁判所がそれを裏打ちしました。

■訴えられた当時を伝える記事
http://www.j-cast.com/2006/12/19004459.html

■判決前日の記事
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080219/21147/print

と、見比べてみるとどちらも弱いとは思うのですが、
ジャーナリストの場合、取材源の秘匿は絶対条件ですから
公開できないこともあるのでしょうが、一方のオリコンは
取材協力店から数店のサンプルを抽出して「販売本数」を
提出して貰うぐらいなら、今の「POS(レジ)」端末を
もってすれば簡単にできる企業体力も信用もあるとは
思うのですが。

しかし、法治国家、日本の裁判はジャーナリスト個人に
賠償命令を下しました。

私も物書きの端くれとして沢山のオブラートを準備中です。

企業様の悪口は言わず、政治屋様に悪態をつくこともなく
できるかぎり匿名で。

自分の主張で裁判をゆがませる「つぶやき」も困りますが、
報道の自由のもつ意味を斟酌しない判決のほうが私は恐怖です。

物書きの末席にいるものとしてではなく

「報道の自由のないご近所の(チベットもウイグル含む)弾圧」

を横目で見ているものとして。

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