法とはみんなが仲良く暮らす一定のルール

人を殺すものと同じ市民生活を過ごすことはできません。

仮に許し難い特段の事情の末の凶行とうのであれば、一定の反省の
後に市民として・・・隣に住むかも知れないものとして受け入れる
ことはやぶさかではありません。

人を殺して死姦をし、それを復活の儀式と本当に真顔でいった
としたら、隣どころか同じ町内、同じ都道府県、いや私の愛する
日本国に住んで欲しくない・・・と、私は考えます。

私見ですよ、もちろん。

法とはみんなが仲良く暮らす一定のルールであるはず。

そのルールを逸脱した人の、一般常識(これもみんなが仲良く
暮らすための生活の知恵です)からすれば荒唐無稽な妄言を
聞けという「人権派弁護士」の主張に吐き気を覚えます。

みんな仲良く。

その為の法でありモラルであり常識です。

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