漁業支援と書いて先送りと読む

漁業を税金で助けると言います。
本当に助けるのでしょうか。
言葉の遊びではありませんし、そこに利権が生まれるのでしょうが、
批判するのが本旨ではありません。

農業についてご指摘をいただきました。
奥歯に物が挟まるような書き方をしていたのは自助努力、経営努力
をしている農家や地域もあり「一律」に括るのに抵抗がありました。

また、歴史的経緯、時代背景、置かれた立場により経験が異なり
そこから意見も思いも異なります。

そこでこれは私見と断っておきます。

「農協の問題」

農協と一括りにするとまた個別に指摘を受けるのでしょうが、
類似団体全てを含んでおり、同時に「農協がわるい」と一方的に
責めるものではありません。

私は民主主義の一面をこう捉えています。

「ノーと言わないものはイエスに投じている」

ま、いつもの表現で記すなら

「選挙(投票)に行かなければ政治に発言する資格はない」

ということ。農協が悪いのであれば正すのも参加者の責務であり、

「いや、しかし現実はそんなことができない」「変わらない」

というのは近頃頻発する「暴走する若者」に通底します。でき
ない理由を自分に求めず、他者と社会と政治に転嫁しているという
ところが重なります。

さらに広げれば「識者」はこれを日本社会と重ねて、十把一絡げ
に高いところからご高説を垂れ流しますが、しかし、1打席目の初
球に3000本安打を達成したイチローを例に挙げるまでもなく、
世界で戦う日本人は増えていますし、国内で勝つやくする「若者」
は沢山います。

どんな時代でも愚痴をこぼすことは行動を起こすことより簡単で、
苦言を呈するより同情がその場では喜ばれます。そして諦めるほう
が簡単です。

「農家の事情が分かっていない」

というお叱りも受けるでしょうが、耕す田畑も学歴も人脈も
地縁も血縁もない人間の事情はお分かりいただけるというので
しょうか。

「あるから大変だ」

という論にはこう答えます。

「ないと大変だよ」

つまり私がいいたいことはこうです。

「市場参加者にはどんな形でも責任がある」

自由経済の国で私たちはゲームに参加しているのです。多分。

漁業に税金を投入することに危機感、いや恐怖を覚えます。
もちろん、漁業は大切です。近頃、高齢化を痛感する我が身は
肉の脂より魚を好むようになり、より切実に思います。

問題の構図はこうです。

「必要経費を価格に反映させる仕組みがない」

必要経費を援助するということは、物価も流通も国家の支配下
となる「統制経済」に突入するというと煽りすぎでしょうか。

しかし、必要経費の援助を普通の商売で例えるなら

「仕入れ」

の援助ということです。直接の仕入れ値ではなく、輸送にかかる
トラック代や運賃を税金で補填します。おかしくないですか?

お上の仕事は枠組みをつくることです。「法律」もそうですし
実は彼らの得意な「箱物」も「道路」も社会基盤整備という枠組み
作りなのです。

ならば、仕入れを助けるのではなく、法律でも圧力でもかけて
魚が「適正価格」となる枠組みを用意するのが先です。

するとこういう声が聞こえてきます。

「魚の値段が上がれば消費者は買わなくなる」

鰯はいまやちょっとした高級魚です。その昔はあまりにも沢山
獲れ猫も食べずに避けて通る「猫またぎ」と呼ばれていました。

価格が高騰すれば「高級感」がでて別の市場が誕生します。
消費者はきまぐれです。希少価値が出ればとびつきます。また
金がなくて高級品が売れなかった「三丁目の夕日」の時代の
日本ではありません。

また、誰も買わずに結果、価格が高騰するならばそこからが
お上の出番で

「全て買い取り、学校給食として格安で卸す」

という方法もありです。子供のころから「魚食」に慣れ親しんで
いれば、大人になるころには魚なしではいられない身体になって
おり、漁業の未来は安泰です。もちろん、買い取りは小売りを
通さずにですが。

仕入れ値を援助すのは日本のお家芸である「先送り」で、この
芸が何をもたらすかを私たちは嫌というほど見てきたはずなのですが。

もっとも「年内解散」を睨んだ自民党の選挙対策費という見方も
あり、お役人様だけを責めるのはフェアではありませんが。

直接援助、現金は魔物です。
次第に依存して目が曇り努力の方向がずれていきます。それは

「金を引き出す努力」

に注力しだし、他が疎かとなり、努力をしている分だけ頑張って
いると自己評価がさらに努力のベクトルを歪めます。

TBSのドラマ「3年B組金八先生」のロケ地に使われていた
中学校を足立区が売却することにしました。少子化と建物の老朽
化による耐震強度への不安から潰して更地のマンション用地とし
て売却できれば住民税その他の税収も期待できるという皮算用も
あったことでしょう。

これに地元の「有志」がまったをかけました。
全国的人気ドラマのロケ地を保存し観光資源にして街の活性化
へとつなげようということです。

すったもんだがありました。

そして中学校は学校法人が買い取り大学となりました。1室を
記念館として使ってよいといいます。TBSも脚本家も協力的だ
と報じられました。

・・・まだできておらず、今度は「資金難」で実現が危ぶまれ
ています。この春には目処の立たない記念館のために教室を
提供し続けるの勘弁と大学側に通達され返却したと「準備委員会」
のページで紹介されています。

金八記念館推進委員会ホームページ
http://www.adachionlyone.com/kinpachi/

大学側としてもいい迷惑と私は「経営者」として同情します。

日刊スポーツの記事によると年間1000万円の運営費が
必要でその目処が立っていないとのこと。
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20080130-314084.html

月割りで83万円。
高いか安いかは一旦棚上げにしますが、推進委員会のページを
みると「異業種交流会」とあります。詳しくはサイトからネット
サーフィンで追いかけて欲しいのですが、色んな会社が参加して
います。

沢山の会社が参加し、「足立区の活性化」と明記しておいて
83万円の運営費も調達できなかったのかと首をひねります。

さらにいいましょう。アイラブ足立区を公言している私が
地元のことを実名で記していますので、足立区の産業界(笑)を
敵に回す勇気を褒めてください。

推進委員会と銘打ち企業名をだすのなら自腹で運営すれば
よいだけのことです。

仮に私が参加したとします。弊社の負担が月額10万円と
割り当てられました。さて私は受けるでしょうか?

答え。

「採算次第」

社会貢献であるなら儲けをよこせとはいいませんが、10万円が
ただ消えていくだけならば経営者として見過ごせません。

記念館を作り街を活性化という目論見が実現した暁にはそこに
利益という果実が実るはずです。それが運営費の原資となりますし
出資者へ感謝を込めて還元すべきものです。

「社会的意義のあるものだから無料」

というのは幻想や妄想で、ましてや企業経営者がそれを
理由に「資金難」というのであれば腹に秘めた思いは透けて見えます。

「行政が協力しろ」

とかいて「金を出せ」と読みます。
失念したのですがどこかの経営者の言葉にこうありました。

「できない理由を金のせいにするのは無能」

大好きな言葉です。できる範囲からでも始めることが大切
ですし、どうしてもお金が必要なら「スポンサー」や「出資者」
を募る努力こそが正しい経営者のあり方・・・と、田畑も親の
遺産も人脈ももたずに細々と商売を営むもの若輩者は信じて疑い
ません。日本が自由経済の資本主義国家であることが妄想では
ない限り。

漁業に直接金を入れる・・・このような支援策を漁業関係者が
望んだのかは存じませんが、

「金を引き出す努力」

に転じないことを祈るばかりです。

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