博打は負けても自己責任

 識者というものは専門知識を有し、且つ時系列で事象に対して

あたり、加えて己の立場を明確にしているものでなかければなりません。

 

 と、いうのもそうでなければ街角の井戸端会議と同じだからです。

 

 株が上がれば楽観論、下がれば絶望論。

 

 もともと株屋と馬券師を同一視していた私からすれば、この見識は

馬券師に失礼だったと反省しきりです。

 

 博打は負けても自己責任です。

 ところが株屋に、その株屋の尻馬に乗っかった銀行屋もお上に

すがろうとします。

 

 どちらが潔いか?

 

 

 またここ数年よいことのように囁かれていた小学生からの

 

「マネー教育」

 

 の末路に持っているのが今より潔さの欠けた未来です。

 

 

 上がって歓び下がって泣くのなら誰にでもできます。そんな連中を

増産する国にまっている未来は悲惨と、金融危機よりも恐ろしいと

煽ります。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください