親心のオーバードーズが制度を

 進学塾「SAPIX」の売名行為に営業活動が奏功して、杉並区
に続き、墨田区の両国中でも「受験対策」が始まりました。

どこの誰だったでしょうか「SAPIX」は儲けが目的ではない
と宣っていたのは。私は民間企業の売名行為を肯定する立場で、
この進学塾を責めるつもりはさらさら無く、いい金儲けのツールを
見つけたと評価しています。もちろん良い意味で。

土砂崩れを起こすと細木さんなみにズバリいいます。

さて、その報道に触れ、基本に返って考えるとこの国の制度は
非常に良くできていることに感心しました。

時を20数年前に巻き戻します。
私が15歳の冬です。

みんなが受験勉強をする中、私は米屋で「お餅」の配達の
アルバイトをしていました。凍てつく寒風の中、まだ柔らかい
のし餅は暖かく柔らかく、束の間の幸せに包まれます。

端的に述べれば高校の「受験勉強」は1週間しかしていません。
その直前までクラブ活動の朝練にでていたぐらいです。
「学校の授業」だけで合格したのです。

偏差値50の学校を中の下とするならば、中の上ぐらいの都立校
で、場慣れするために受験した同じぐらいの私立校も合格しました。

自慢話をしたいのではありません。多分、私は勉強に向いていた
のだということです。そして上の上を目指す価値を見いだせず、
さらには努力をする資質には欠けており、中の上に入るのが
「似合っていた」ということです。

当時の都立の普通科高校は学区制で、定められたエリアの中から
選択するルールになっていました。そこには偏差値65以上の学校
から45ぐらいまで様々です。さらに商業科や工業科では、それ
以下の学力での入学も不可能ではありません。

勉強に向いていない同級生は商業や工業にいきましたし、勉強が
得意なものはそれなりの学校に、剣道が盛んな土地柄から、
スポーツ特待生もでています。

つまり「多様な選択肢の中から実力相応の進路」が選べたのです。

こんな話を聞きます。

「やりたいことを見つけるために大学に行く」

これって間違っていませんか。大学って専攻がありますよね。
それにはこういう反論があります。

「子供にはわからない」

いやいやそれは違うのではないでしょうか。少なくとも

「勉強に向いているか向いていないか」

は義務教育で充分わかります。学力不足で大学入学後に補習授業を
受けるのは明らかに勉強に向いていない人です。
こういうかも知れません。

「高校(大学)になって勉強に目覚めた」

これはイレギュラーケースで、人生に「IF(もしも)」がある
ならば、その目覚めは他の進路でも出会ったことでしょう。

「勉強に出会う時期」

ってある人にはあり、ない人は死ぬまでありません。

そして「制度」だけをみれば、非常に良くできているなぁと。
勉強が苦手な人のためのルートが用意されており、勉強好きを
伸ばす仕組みもある。

では教育制度の何が問題かというと

「我が子にはいい思いをさせたい」

という親心のオーバードーズが制度を歪めたのではないかと。

それが公立学校での民間企業の受験講習という商品の販売を
加速させます。

感情がすべてに優先すると社会は成り立たちません。

とにかく誰でもいいから殺したかった。

理不尽で自分勝手な犯罪ですが、どこか同じにほいを感じます。

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