義務教育10年制度

 我が町、足立区で小学生の「補習」を「塾の講師」が行うと発表
がありました。

杉並区の和田中学校が「受験対策」が目的だったのに対して、
こちらは「算数」で主に計算が苦手な児童救済を目的としています。

我が町だからではなく少しだけ賛成するのは「補習」であること
と、土曜日や夏休みを使う点です。受験対策は公教育から逸脱した
「点取り」のために大晦日や新年早々を使っていたのに対して、
朝からニンテンドーDSやPSPで「外遊び」をしているガキども
を勉強に向かわせるという点では有意義かなぁと呟きます。

そしてアンチテーゼとしてもニヤリとしてしまいます。
つまりは

「現在の先生の実力とカリキュラムと制度ではお手上げ」

という告白でもあるからです。
単純に先生の指導力不足をあげるものではありません。

土曜日や祝日、早朝から夜遅くまで児童のために活動している
先生に今以上を求めれば過労死が目前とる一方で、「労働者の権利」
に固執する公務員は余力を残したアフターファイブと週休二日を
満喫します。そして彼らにプレッシャーをかければ組合が黙って
なく、連動して民主党も騒ぎ始めることでしょう。

先生の問題を挙げるなら

「教員の能力を精査し評価する仕組みがない」

につきます。自浄作用が働いていれば今の体たらくありません。

カリキュラムについては「ゆとり」よりも「週休二日」が全て
の元凶です。ゆとりありきではなく週休二日の為に内容を削った
のですから。どれだけ理由と理屈を陳列しても始業式の当日から
授業がある現在と、小学校低学年時代はほぼ半日で下校し土曜日
半休(半ドン)だった昭和の子供とどちらに「ゆとり」があるか
を見れば明らかではないでしょうか。ついでにいえば学力低下も。

てなわけで足立区公的教育の「ギブアップ」として私は小さく
賛成に手を挙げます。全く懸念が無いわけではありません。それ

「足立区の談合癒着体質」

です。一度、区役所の仕事を受注し「パイプ」ができると、
なぜか「随意契約」が多くなります。これは匿名ですが、とある
人がとある関係の仕事がきっかけで区役所職員と親しくなってから
区役所の仕事が激増しています。

そして足立区の産業振興課と近しいとある団体の代表は新年の
挨拶として区役所を廻りそれを

「ご機嫌伺い」

と表現し、そこに違和感を覚えたのは私だけでしょう。ご機嫌
伺いとは目下の者が目上にする挨拶や、ご用聞きが取引先に顔を
だすこと指します。

足立区を見ているとこの国と重なります。

子供達のために公明な手続きで、正当な実力を持った「塾」が
選ばれることを望みます。

話を戻します。
足立区のギブアップ宣言をうけて残された指摘は「制度」です。

横浜市が「小中一貫」を打ち出しました。
色々な理由を述べており反対ではないのですが、ひとつだけ
首をかしげたのは

「中1ギャップ」

小学校から中学校になる際の環境の変化から不登校やいじめが
急増するというものですが・・・どうでしょうか?

適度なストレスは人間を強くするコーチのような存在で、やがて
社会人となったときに不利な状況にめげず、新しい環境に適応する
能力を養う「チャンス」であり、本当の意味での子供の成長を望む
のであれば遠ざけるのはいかがかと。

また、中学デビュー、高校デビューのように環境が変わることで
救われる子供もいることを考えればこの理由には首をかしげます。

ともあれ「学力」という視点から小中一貫のほうが選択肢が
広がり改善はしやすいでしょう。報道によれば小中それぞれの教師が
垣根を越えて教えあう(これにも縄張り意識という壁をどう越えて
いくのかという不安があるのですが)のは良いことでしょうし、
この動きは全国的な広がりを見せるかもしれません。それは
歯止めのかからぬ少子化をみれば、

「子供一箇所に集める方が合理的」

でもあるからです。
一方で大学生の学力低下は笑い話にならない程になっています。
大学入学後に高校の補習をしなければ授業にならない生徒が
入学してくるといいます。ってダメじゃんと突っ込みを入れますが
事実です。

大学全入時代となり金さえあれば馬鹿でも学士様です。

いまだに大卒を入社試験の条件にあげる大マスコミ様のレベルの
低下をここに見る思いがします。

話を戻したはずが脱線していますね。また戻します。

つまり「教育制度」のすべてが瓦解している時代ではないかと
いうことです。そして「嘆く」だけならコピペブログでもでき
ますし、「おまえ何様?」と突っ込み入れるのも虚しい

「俺様ブロガー」

と同列になってしまうので、私は「提案」を添えることに。
それはこうです。

「義務教育10年制度」

小学校、中学校の垣根をなくします。
そして現在の小学1年生から4年生までの期間を「基礎教育」
とし小学5年生から中学2年生までを「一般教育」とし、
中学3年生から高校1年生までを「専門課程」とするのです。

「基礎教育」では読み書きソロバンに道徳、生活指導、といった
社会で生き抜くための「基礎」の徹底的な反復、そしていわゆる
理科や社会は「生活科」の精神をより深めて、自然観察や実験、
町内の社会科見学などの「フィールドワーク」とします。

「一般教育」から歴史や地理、英語、数学を始めます。
数学は公式ではなく「解き方を考える力」に重点を置き、
英語は英会話、国語は手紙の書き方なども含めた「作文」を
中心にします。狙いは

「一般社会生活ができる力の涵養」

数学の「解の公式」は実社会でほぼ100%役立ちませんが、
方程式という概念は意外と役立つことが多く、それを「考える」
練習は無駄になりません。

肝となるのが最後の「専門課程」。

ここで人生の選択をします。

「進学か就職か」

途中でコース変更は一定の要件で認めますが、進学課程は
より高度な一般社会では役に立たなくとも研究者には必要と
なる知識を身につけることを目的とし、就職過程は就職して
有利となる「コミニュケーション力」の育成に重きをおきな
がら得意分野を探していきます。

世の中には勉強が不向きな人がいます。彼らに勉強を強い
るより社会にでて自分を活かす方が社会貢献できると考える
のです。

そして今の高校制度は廃止です。専門課程を強化する
職業訓練校としてもいいでしょう。大学制度は希望者はほぼ
受け入れますが、「学士」は国家認定資格として厳格に認定
し「卒業」と切り離します。つまり大卒だけではステータス
としないということで、ちゃんと勉強して一定の知識と能力
を有するものだけが「学士」と名乗れ、つまりは学歴社会と
いう批判そのものが無くなるのです。自動車運転免許保持者
を優遇したからといって非難されないように。

どうでしょうか、義務教育10年制度。
さらにこの制度にはもうひとつの肝があります。

義務教育終了後には16歳。
これを「成人年齢」とするのです。

但し「選挙権」は16歳以上で納税者のみとします。
働かざる者発言すべからず。こういうと「弱者」を持ち出
して批判されるのでしょうが、未納税者は30歳以上で選挙
権を与えることでどうでしょうか?

この「差」を提唱するのは勤労者と学生、さらにはニート
では社会への貢献度も考えも異なるからです。

「いろんな考えの人がいるのが民主主義」

という反論が聞こえてきそうですが、この国が嫌いな人や
日本国の発展を望まない人は排除するのは当然ですし、学士様
は社会にでてから貢献するという考えが虚しい現代、同年齢の
社会人は所得税を払い20歳を過ぎれば住民税を払います。
一方で大学には補助金として税金が投入されます。これは
格差でしょうか搾取でしょうか。そしていまだに「大卒初任給」
は高卒、中卒より高くなっています。

「納税者を大切にしましょう」

という精神です。脱線ついでに述べれば今年の箱根駅伝を
なんとはなしに見て思ったこと。

「大学生なら勉強せい」

体育大学の学生ならわかるんですが、学府にはいって
かけっこばかりしてそれを大騒ぎする大人達。そこに違和感
を唱えないのもまたなんだかなぁと。

成人年齢ですから結婚もOKです。これは少子化対策でも
あります。思慮浅く、リビドー深い思春期の出口。それは
もう子供ができまくるのではないでしょうか。

制度がおかしいと考えるのなら、前提条件から見直さなけ
ればなりません。それは企業改革が失敗する理由と重なります。

「今がダメだから変革を考えているんだ。
ならばその“今”という前提条件から見直すんだ」

私が企業にお邪魔してお話しすることです。

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