騒ぎすぎたのではないか、騒ぎすぎているのではないか

 今週、うっかりしていて来週発行の「通販支援ブログ」の原稿に
手をつけておらず、またマンガ原作は毎月この時機に入稿しており
督促はうけていないのですが、後ろに廻せばその分だけあとがつらく
なるだけと自分に科しており、なんとか昨日、一昨日で入稿し、
ホッとしたのは掛け値なしの束の間。今日はマイコミジャーナルの
下書きの日。

執筆スタイルは人それぞれですが、私はできるだけ下書きから
3日間はかけます。特にコラムは「熟成」することで旨味が増すこと
と雑味をとることができるからです。私の中ではすべてがつながって
いることであっても、第三者に伝えるには枝葉をとるほうが伝わり
やすく、その客観視に3日間かけ、時には入校直前にばっさりと
落として加筆することもたびたび。力不足を時間で補っている
といえばそれまでですが。

で、正味の話いそがしいのですが、緊急発行するネタはこれ。

「新型インフルエンザ」

都内の女子高生が発症したというよりは

「騒動に飽きてきたメディア」

によりこんな意見が主流になりつつあります。

「騒ぎすぎたのではないか、騒ぎすぎているのではないか」

さらにここにきて関西圏の経済損失まであげて、はたして政府の
対応はいかがだったのかと犯人捜しまで始めました。

たぶん、これは「弱毒性」ということもあるのでしょう。そして
海外はここまで騒いでいないという識者も少なくありませんが、
ならば彼らはメキシコでサッカーの試合が無観客試合となり
レストランが閉鎖されたことは忘れてしまったのでしょうか。

あのときと今は違う。と、述べるかもしれませんが、我が国は
今があのときです。ちなみに中国などは強制隔離までしました。

海外とは欧米のみの話で、逆に言えば民族や国民性の違いに
求める方が論理的整合性があります。つまり、いつものことです。
例えば「BSE」でも海外の基準が正しいというのなら日本の
全頭検査は不用で、「神はいない」といえばバチカンが猛り狂い
それをその通りだという宗教観の欧米に合わせるというのなら
欧米を引用して日本を計るその説も一定の説得力を持つでしょう。

弱毒性とはいえ妊婦に関しては200倍の毒性となるといわれ
決して楽観視できませんし、新型インフルエンザということは
人類にどのような影響を与えるかわからず、さらに語弊を怖れず
にいうならば「臨床実験中」だということです。

ここで私の立ち位置を述べておきます。

私は自己責任と考えています。町中にでればインフルエンザの
保菌者と接触するリスクがあり、それを嫌うなら人気のない山の
なかにでも住むしかありません。うがい手洗いは欠かさずしてい
ますがまぁできる限りをした上ではどうにもならないかと。また
職務上人混みにでなければならないのであれば、リスクとメリット
を天秤にかけ、メリットが上回れば出かけることでしょう。

そしてここが重要です。

「政府の責任とは口が裂けてもいいません」

今回、その時点で考え得る限り最善を尽くしていると私は
考えます。「停留措置」も「学級閉鎖」も発熱センターもできる
限りにおいてです。

メディアが「過剰反応だったのでは」と疑問を呈し始めました。
ならば問います。

「アメリカ政府のような対応だったとして日本人が、
特にメディアは政府を非難しなかったか」

どちらにしても非難されるのであれば国民の生命を守るために
過剰反応するのが正しいと支持します。

さらにここからが原稿に追いかけられながらの緊急執筆した
理由です。

「公と私のどちらが優先されるのか」

関西の学校が休校になり街で遊ぶ「若者」がフィーチャーされ
ました。家にいても暇だというのが理由で、学校を閉鎖すること
に意味があったのか、こちらのほうが問題ではないかという論調
で語られます。

まず、根本が間違っています。感染拡大を防ぐ目的で学校を
閉鎖したのです。だから出歩く方が間違っています。若者を
叱るのが正解です。それはふらふら遊んでということではなく
こうです。

「保菌者の可能性がある学生が街をぶらつくということは、
菌をまき散らす危険きわまりない行為」

学級内での感染拡大を怖れるだけではなく、すでに保菌者=
キャリアとなっており、発症を待つ(抵抗力により症状が出ない
場合もありますが)段階の学生を自宅に留め置くという意味も
あったということです。

もちろん、なんでもなければそれにこしたことがありませんし
大袈裟だという批判もあるでしょう。しかし、これこそが「公」
の精神です。つまり他人様に迷惑をかけないという発想です。

今回、「暇だから」と遊びに出かけた学生、そしてそれを
批判しない大人達は「個人の権利=私」をチョイスしたという
ことになります。「公」の精神があればできないことであり
認められないからです。

そして都内の女子高生も「悪くない」と庇う人がいます。
これもどちらの立つかで評価は異なります。

国連のなんちゃらとありますが、聞きかじった報道によれば
彼女たちは「サブ」のメンバーで自費渡航し、現地では
エンパイアーステートビルにのぼり、ミュージカルを観劇した
とのことで、これは事実確認していないので間違えていたら
御免なさいなのですが、学校側の説明によればこの国連なん
ちゃらに選ばれるために半年間の準備をしており、どうしても
いきたいという熱意に押されて学校側も許可をだしたといいます。

あるジャーナリストの話です。
紛争地帯の取材の為、渡航準備や現地の人脈作り、こちらの
スポンサー探しなどなどに数年かかりました。そしてイザ、
現地にはいるという直前にテロが勃発しました。現地外国人は
つぎつぎと処刑され、または人質として他国との交渉に利用され
ています。

さて問題です。
彼は渡航すべきでしょうか自粛すべきでしょうか。

今回、子細をあえて記さないのは彼女たちを論じるには
この国の「社会通念」を再定義しなければならず、これが
ないままに評価することはフェアではないからです。

学生時代の貴重な経験。もちろんそうです。
しかし、それは公を越えるものでしょうか。

またキャリアである可能性がある学生が繁華街をうろつく
ことは私の権利でしょうが、繁華街を歩く他人様の健康を
侵害してい良い権利はありません。そこに悪意はありませんが
悪意がなければ何をしてもいいのでしょうか。最近の論調は
これを肯定するかのようです。

善悪は神が決める一神教社会の通年と日本人のそれは異なり
ます。そしてことが起こると政府に責任を求めることが現代
日本人の社会通念となっています。さらに公と私ならば
私が優先されるのであれば、インフルエンザにかかった人間が
町中にでまわることを止める論理構成を私は見つけられずに
います。

新型インフルエンザ対策を論じる前に、新型の社会通念の
構築が喫緊の課題なのです。

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