神のいない世界などあり得ない

「キリスト教は排他的で独善的な宗教」

とは民主党幹事長の小沢一郎氏の発言です。

・・・神の国発言を思い出しますが、民主党ならざるものは人に
あらずの我が世の春を謳歌する幹事長様の発言を問題視する声は小
さく一党独裁の恐怖に背筋が凍る思いです。

しかし独善的かどうかは主観により、その台詞は小沢さん、
あんたに返すよと毒づきつつも排他的というのは事実のひとつの表現
であることは間違いありません。

と、いうかそれが「一神教」なのです。

他を排除するか、唯一無二と表現するかの違いで、両者を分ける
ものはそれを表現するもの価値観に委ねられます。ひとつの価値を
表現するに辺り、自分の評価基準を元にするということです。

分かりづらいですか? 例えば「強い」を表現する比喩として
プロレスラーかK−1ファイター、あるいは軍人、ヤクザ、父親
とするかはその人の持つ評価基準によりことなるということです。

まだ難解でしょうか。ならば端的にいいます。

「自分に馴染みのある言葉を使う」

ということ。つまり、排他的も独善も親しんでいる人間はつい
そう表現してしまうということです。

キリスト教と民主党を置き換えれば今の状況に合致します。

事業仕分けをみても民主党の「独自基準」で仕分けられており

「必殺 仕分け人」

なる方々の選任基準からして独善的で、その判断は排他的です。
さらにその仕分け人の多数決も、民主党議員の

「政治的判断」

でいとも簡単に覆され、それを否定する党内の声はきこえてき
ません。これが党内で自由な意見が飛び交い、時に党利を損ねる
お茶目な自由民主党なら大騒ぎになっていたことでしょう。

それはさておき、折角、与党幹事長が問題提起してくれたので

「一神教」

について。

日本の自称も含めたインテリ層がことあるごとに

「グローバルスタンダード」

を持ち出します。社会保障にたばこ増税などの議論もこれを
よく持ち出し、個人の権利も海外並と声高に叫びます。

はてさて、このグローバルスタンダードのうち、一神教でない
国家は幾つあるでしょうか。

議論を絞ります。
国内の慣用句としてグローバルスタンダードという場合、
セネガルやパプアニューギニアが含まれていることは希です。
やはり欧米を中心とした先進国を指します。

それではG7の国々はどうでしょうか。

イギリス、アメリカ合衆国、フランス、イタリア、カナダ、
ドイツ、そして日本です。

宗派の違いはあってもキリスト教の国ばかりです。

G20まで広げるイスラム教国家もはいってきますが、
イスラムも系譜をなぞればつながる一神教で、あきらかに
一神教以外の国家をあげると、日本、インド、中国、韓国
をどうするかは微妙ですが明らかに言えるのは少数派です。

またグローバルスタンダードという表現にインドを含め
ることは共通認識として薄く、中国は神ではなく党が頂点に
経つ点では相似形といえなくもありません。

そして戦後日本では「政教分離」の名が独り歩きして
些末なこと、民間伝承レベルまで政治と切り離されてきま
したがグローバルスタンダードでは不可分であることは常識
です。

神と共に生きるのは常識以前の人間の存在に関わること
というのが一神教の基本的スタンスです。彼らにとって
神のいない世界などあり得ない、想像すらできないことです。

ここを日本人は忘れてしまいます。
声高に「グローバルスタンダード」を叫ぶ、文化人や識者
が日本人的価値観で海外を評価し根本的に間違えるのです。

例えばスウェーデンの「高福祉」を褒め称えます。が、
その背景に「宗教的精神」が息づいていることは語られません。

勤勉であること、人を助けること。すべては神と共に生きる
彼らにとって当然の所作です。だから、高福祉にも甘えず、
高負担を受け入れます。働くことは神の意志です。

宗教的精神が滅んだ日本で「高福祉」はただの「権利」と
なります。神という強制力のない日本では「高負担」という
「義務」は苦痛以外の何者でもありません。強制力という
表現を使いましたが、それは現代日本人的に代換えできる
言葉が見つからなかったからで、もう少し妥当な言葉では
「当然」といったところでしょうか。

それでは全ての国がスウェーデンに・・・というのは拙速
な話しで、神様と折り合いをつけて生きるのも一神教の
特徴のひとつです。そして他の宗派がちゃちゃをいれる類の
ものではありません。

イラクもアフガンにも通底します。

「世界」

を引き合いに出す時、その背景にある宗教を見落としては
ならないのです。

「日本の常識は世界の非常識」

といわれたりします。
そりゃあそうです。その世界の大半は一神教で、神の存在
を信じないのは人間の存在を否定することだというのが
世界の常識です。

そしてこの視点に立てば他人様の信ずる宗教を悪し様に論ずる
政治家はその政治生命を絶たれても不思議ではないのが世界の常識
です。

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