ロールキャベツ向きのキャベツ

 まいにち「レタス」食べてますか?

八百屋を営む岳父は「野菜離れ」を嘆きます。レタスが売れなく
なっただけでなく、ネギでもキャベツでも「安値」でなくなると
ピタリと売れなくなりました。

不景気だから・・・とは短絡に過ぎる理由です。かつての昭和は
振り返れば良い想い出に溢れていますが、インフレ経済とは物価高
を庶民に強いるもので、現代のように「欲しいものがない」ではなく

「欲しくても買えない」

ことは日常茶飯事でした。商品がなかったり高すぎたり。

そして野菜の高値安値はお天道様次第で、豊作不作は農耕が始まっ
たころからの人類の課題です。かつては「高いわね」といいながら
も野菜は買われていました。

食生活の変化も理由のひとつです。ただし、これだけでは見落と
してしまいます。もっと根深い「日本の変化」も関係しています。

日本の変化といえば最近のヒット作は何を言っても

「政権交代」

でしょう。水に落ちた犬を叩く趣味はないので、やいのやいのと
囃し立てはしませんが、民主党政権が誕生する以前からの私の
指摘・・・いや「予言」が当たりすぎることに、

「足立区のまたいとこ」

でも名乗りながら占い師に転業しようと妄想するほどです。

赤松農林水産大臣がかましてくれます。昨今の野菜価格の高騰に

「できるだけ早出しをしてもらって、前倒しをして、少しでも値段が
安定するように。できる範囲で努めていきたい」

と農協経由で農家へ「要請」しました。
私は農家ではありませんが、率直な感想を2点。

ひとつは「人気取り」。野菜の高値を政府の、いや

「民主党の力」

で下げたというアピール狙いで、さすが「ガソリン値下げ隊」と
いう学芸会をやった政党ですが、野党ならいざ知らず、政権与党の
大臣の台詞ではありません。

安くなればいいジャン。には断固ノーと叫ぶ、その理由が二つ
目の感想です。

「野菜が安値で値崩れしても政府は助けてくれない」

ちょっと前、「白菜」が豊作過ぎて値崩れを起こしていた時
政府は何をしたでしょうか。論ずるまでもありません。放置です。

デフレ対策を片方で論じ、野菜の豊作によるデフレを放置する
ことを批難するつもりはありません。お天道様の恵みを得る産業
について廻る宿命で、これを政府が管理、援助するとなれば

「配給」

あるいは

「計画経済」

しかなくなり、事実上はいざ知らず、日本は「まだ」、
社会主義国家とは認めていないのですから。あ、イヤミです。
赤松大臣は元社会党(現在は民主党)ですので。

日本国民とは野菜を買う側の人間だけではありません。
農家も当然過ぎる話しですが日本国民です。

そして念のため、加えれば野菜が高騰しても農家がボロ儲け
することはありません。そもそもの収穫量が減少しており、
高値による買い控えも起こり厳しいのです。さらに、天候が
回復して「収穫アップ」すれば値崩れします。

この箇所を書くのに逡巡したほど「当たり前」のことです。

それを政権交代の末に誕生した赤松農林水産大臣はご存じ
ないか、あるいは本当に臥薪嘗胆、面従腹背の末に

「社会主義革命」

を狙っているのか存じませんが、こうした大臣が存在する
ことも日本の変化のひとつです。

そこで私は冒頭の質問を投げかけます。

「レタス食べてますか?」

昨年の毎日新聞の報道によれば、長野県川上村の
特産レタスは国内需要の頭打ちに台湾へと輸出していると
あります。

一方、大手スーパーマーケットが野菜の特売を始めました。

PR効果も期待できるので「損して得取れ」というのが
一般的で、実際にそうしている「八百屋系スーパー(もともと
八百屋だった企業が取扱品目を増やしてスーパーマーケット
になったところや、仲買が余り野菜を売り出して発展した
ところなど)」も知っています。

しかし、こんな舞台裏も知っています。

「買いたたき」

原価ゼロです! などとスーパーマーケットの担当者が
言ったとすれば確かに損して得取れでしょうが、その仕入れ
値を叩いていることもあります。取引高の高い「お得意様」の
要請を断るのは難しく、公取委に見つかれば

「優越的地位の濫用」

にあたる取引も「お願い」という人間関係で処理されれば
発覚することはありません。

それともうひとつ。

「買い占め」

高値でも商品供給のために資本力のある企業が買い占めを
するのです。企業からすれば「全店舗にキャベツを」となり
真っ当な営業努力でしょうが、地場の八百屋は「買い負け」
し店頭にキャベツが並ばず、同時に「納め」と呼ぶ、店舗や
団体への納品ができず「客離れ」を起こすこともあります。

なかには市場(いちば)が品切れで大手スーパーマーケット
で買い入れて赤字で「納品」する八百屋もあります。

かつては「なければない」が通用し、消費者も我慢し、
八百屋の苦境をおもんばかったものです。しかし、便利は
当然となり、不便は社会悪となりました。なにより資本力の
ある大企業はどんなときでも便利を提供します。

これをもって「自由競争」とするのか。

ここで私見を。私は市場原理主義的な素養を持つものですが
同時に「多様性の確保」は競争による市場の健全化を担保する
大切な要素と考えます。

だから今こそ「目を光らせる」べきは大企業による市場の
買い占め・・・と考えております。規制せよではなく、目を
光らせるというのがポイント。

レタスとキャベツが箱積みされるスーパーマーケットと
二級品以下しか買い付けできない八百屋。これも日本の変化の
現実です。

野菜とは季節により収穫も代わり、今、短期的に葉物野菜が
不作でも通年でみれば豊作であることもあります。もちろん
農家によっては被害は甚大でしょうが、消費者側に立てば、
いまひとときの我慢で大騒ぎするべきことではない・・・こと
が多いのは事実で、16〜7年前の「米不足」を思い出すまで
もないでしょう。

季節感がなくなったことも日本の変化で、それは学校教育の
現場にも通じます。いつもの日教組攻撃ではなく、今回は

「給食室」

よりのリポートです。

「春キャベツ」というのは「巻き」が弱く、ふわっとしています。
柔らかくサラダなどには最適ですが、「ロールキャベツ」の
ような葉っぱの面積を必要とするものにはあまり向きません。
家庭用として数枚つかうなら、柔らかな食感で美味しいのですが
大量に作るとなると、見合ったキャベツを探すのが大変です。

小学校の給食にロールキャベツの文字が並んだのは今年の4月。
給食室のある学校へは地元の業者が納品することが多く、
この小学校へも近所の八百屋が納品します。

納品されたキャベツを見た「給食のおばさん(職員)」は不満を
隠そうとせずにこういいました。

「ロールキャベツ向きのキャベツを持ってきてください」

返品です。八百屋はどうにか「向き」のキャベツを手配しまし
たが、その手配へのコストはゼロです。

一事が万事です。給食に向いた食材、それが「季節感」を無視
したものであっても要求し、価格は「旬の食材価格」が要求され
ます。

本人達は意識していないのでしょうが「下請けイジメ」の構図
は日本全国に浸透し、変化したことすら気がつきません。

便利であることが当たり前になったことはいいことでしょう。

しかし、便利な状態とは努力と幸運の上に成り立っているもので
あり、永遠に保存され、恒常的に供給されるものではありません。

という「当たり前」を口にする人が減ったことも日本の変化。

そして野菜が不足する度に大騒ぎします。日頃は食べない人まで。
ついには大臣まで大騒ぎするようになりました。
 

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