ゲーテに続いてニーチェです。
というか「ゲーテの警告」を一気に読了した余勢を駆ってアマゾンで購入し、これまた即日読了しました。ゲーテと重なる所はご愛敬して、キリスト教をからめた視点から、いまの日本人全てを嗤います。
痛快だった指摘をひとつ。
「キリスト教の本質は反知性主義」
信者にとっては異論も反論もあるでしょうし、卓越した治世をお持ちのキリスト教徒がいることも存じておりますが、著者の適菜収さんはこう喝破します。
<弱ければ弱いほど、バカであればバカであるほど、軽く見られていれば軽く見られているほど、神が選んでくれるというわけです。それで愚か者が権力を持つようになった>
生命が本来的に持つ根源的価値観を、キリスト教的平等主義により逆転現象が起き、バカを誇れるようになったというのです。
批判の矛先は音楽からグルメとひろく鋭く、東京ウォーカーのネット記事に掲載された
<日本が誇る“だい”のおいしさを広めたいという目的から生まれた新感覚ステーション>
という味の素の広報活動については
「だしの文化を破壊してきたのは、味の素でしょう」
と手厳しい。ちなみに「都市伝説」として紹介しますが、トヨタと味の素の悪口は記事にならにとされています。
知識人にも手を緩めません。
死語、神格化が始まった「吉本隆明」の論を
<結局、「気がする」だけなんです>
これは左翼系に共通する言説で、観念を論拠とし、批判されたとしても些末な言葉の不足に話題を転嫁しながら、論拠を示さないままやっぱり自分は正しいとと主張します。
最近では「たかが」坂本龍一が、この「たかが」に対して感情的な批判があったが、あくまで命と比較しての電気をたかがだといったのだと産経新聞で反論していましたが、感情を煽るための言葉をチョイスして感情的な批判とは、あいてを殴っておいて殴り返すと思わなかったという寝言と同じで、命との比較についても、どの命とどの電気かを明示しなければ比較などできないのは小学生でも分かること。
これについては偏向バラエティ番組にてすっかり反原発芸人に成り下がった「大竹まこと」氏が、原発維持を経済団体が求める理由を「電気代」とした理由について、同じく「たかが電気代」と言い垂れました。
産業が成り立たなくなっても「たかが」でしょうか。といか原子力に関して言えば「安全保障」も絡んでくるので、すなわちそれは「命」の問題です。著者の適菜収流に述べるならこう。
「あたま悪いんじゃないかな」
先に紹介したように「反知性主義」というのが重要なキーワードです。すこし、深く考えれば分かることを、考えなくても分かるように説明しろと要求し、近視眼的な「わかりやすさ」ばかりが強調されて本質を歪めのです。
■ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒
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