盆踊りに顔を出す政治家の勝利

選挙が終わり、聞こえてくる総括は

「自民党が勝ったわけではない」

しかし、勝ったのですよ。事実は。

前回選挙から得票数を伸ばしていない・・・という指摘なら、それでも前回は大敗北して下野したわけです。そこから導き出されるのは

「選挙制度に欠陥がある」

ということ。ただ、それだけのことなのです。

政権交代を可能にするための小選挙区制度。

というフレーズがありました。それを体現したのが民主党であって、政権交代だけを目的としたものは、手段と目的を取り違えており、20年近くかけた壮大な社会実験の失敗だったと歴史に刻むべきなのです。

第三極の林立が自民党を勝たせたという「批判」もあります。
それは事実でしょう。しかし、それは真っ当だったともいえます。

インタビューではいつもこじゃれたジョークを飛ばそうとする中管理職的な小物感が漂い、アジェンダなどと片仮名言葉を掲げる底の浅さからあまり評価していなかった「みんなの党」、ついでにいえばこのネーミングも評価を下げた理由ですが、その党首、渡辺喜美さんの今回の行動は高く評価しています。

日本維新の会との合流話を蹴ったことにより、票が割れる結果になったとはいえ、選挙互助会による政治が失敗することを教えてくれた民主党政権を十分に踏まえているからです。

負けても通さなければならない筋、原則があることは人の道です。

一方の選挙互助会の日本維新の会。太陽の党を吸収したことへの批判が渦巻いていますが、そもそも立ち上げに参加した国会議員も選挙目当てという批判があったことからみれば、成り立ちが民主党・・・もとい選挙互助会です。

太陽の党、というより石原新党と一緒になったことにより、日本維新の会が躍進できなったという批判も正確ではありません。

日本維新の会の人気は春の結党をピークとして、徐々に下がり続けていたからです。これを無視して、石原新党と一緒にならなければ・・・というのは時間軸を持たない視点で、一般的にそれをフィクションと呼びます。

確かに政策的にはとても近い、みんなの党と一緒になっていればという仮定のはなしには頷きますが、合流は維新の会がみんなの党を吸収合併するというもので、それはすでに党として活動していたみんなの党としてはのめない案でした。

それでは選挙協力となりますが、200の候補者を立てるといい、次には全国の「1区」に擁立するとケンカを先に売ったのは日本維新の会です。橋下さんの過信であり、うぬぼれです。坊ちゃん育ちからか、基本的に「良い人」である渡辺喜美さんを舐めていた・・・・というか、橋下さんは自分以外はバカと思っているのかもしれません。

いうなれば第三極の林立、乱立、そして自民党の歴史的勝利というのは橋下さんの自作自演によるもの、最大の功労者、選挙前から親しかった安倍晋三さんを助けるためにやったのではないかと勘ぐるほど見事にアシストした・・・と、誰も指摘しないのが不思議です。橋下さんが指摘するように、マスコミもコメンテーターもバカばかりだからでしょうか。

もう少し民意に謙虚になり、みんなの党との連携を優先していれば、ここまで自民党が大勝することもなかったでしょう。さらにここまでを橋下徹さんの責任とするのは酷ですが、維新の会の人気に煽られて民主党から逃げ出した脱走兵が結果的に自民党をアシストしたのです。

これが今回の選挙の結論です。

平沼赳夫さんも園田博之さんもきっちり小選挙区で勝ち上がってきています。母胎である大阪で、日本維新の会は強さを発揮しました。政党支部を育てているみんなの党も議席を増やしました。

そして地域に根付いている自民党が勝ちました。

いわゆる「盆踊りに顔を出す政治家」が勝ったのです。

小沢ガールズのひとり、東京12区の青木愛さんは、未来の党から出馬し落選しました。しかし比例で復活当選できたのは、惜敗率が高かったからです。彼女は選挙区内に保育所をつくるなど、生活の基盤を固めていました。

もうすでに「ただの人」になったので名前は挙げませんが、隣の東京13区の前衆議院議員が「足立区嫌い」と広言していたことと対照的に、地域に溶け込もうとしており、それだけが理由ではないでしょうが、地元都議の秘書を雇い入れるなどしていました。

彼女の親分は天皇陛下をアゴで使う不遜な男であるので、支持する気持ちは1ピコリットルもありませんが、しかし、勝った理由はわからなくもありません。

国民は地域密着型政治家を望むということです。

一方で、低い投票率を理由に自民党の大勝を嘆く声もあります。おもに3年3ヶ月前の政権交代のとき浮かれていた輩に多いのですが、投票率の低さは政治への不信というより、それを招いたのは民主党政権です。もちろん、自民党にもありますが、政権交代の熱狂に冷水どころか、液体窒素を浴びせたのが民主党政権でした。

低投票率の理由は、民主党と彼らを持ち上げたバカコメンテーターにあるのです。

言葉の裏側に投票率が高まれば、自民党政権を阻止できたという思惑が透けて見え、そのために「ネット選挙解禁」を引っ張り出します。

これはすなわちバカコメンテーター達の「敗北宣言」。
テレビや新聞では自民党政権を阻止できなかったという敗者の弁です。

それでは「ネット選挙解禁」になれば・・・の解については、本日公開のWeb担当者Forumにて記しております。解禁したからといって、すべてが良くなることなどありえません。

私案を述べれば、ネット選挙解禁は「時限立法」にしなければなりません。時々刻々というより、秒単位で変化(進化ではありません)していくネットの世界で、一度決めた法律が何年も通じることはありません。法という網が定まれば、その目をくぐる方法を考える世界がネットです。だから、1年単位、あるいは参院選挙がある3年ごとなどに必ず見直す仕組みが必要で、その為に期限が来ると失効する時限立法なのです。

例えば「ペニオク」で再び注目を集める「ステマ」。
ネット選挙を野放図に解禁すれば、左翼の独擅場になるでしょう。

芸能人や文化人に潜在的左翼は多いのです。彼らが語る反戦、反核、幻想に騙される国民は沢山いることでしょう。特定の政党を支持しないといいながら、立候補者との「個人的交流」をかたり、仮にそれが会釈程度の交流でも「親友」と書くことに、彼らの良心が痛むことはありません。

彼らは現実社会と乖離した思考回路を持ち、非日常の発想を持つからその立場にあるのですが、ブログなどで一般市民のそぶりをみせてファンをだまくらかすことは、ペニオクのステマからも明らかです。ちなみに「ママブログ」「子育てブログ」などもそうです。

他にもなりすましによる偽ブログや、ツイッター、フェイスブックに、スパム的な「LINE」の利用などもでてくることでしょう。こうしたものを適時見直す仕組みを作らない限り、ネット選挙の解禁はこの国の民主主義をさらに俗悪なものに堕落させることでしょう。

ネット選挙の解禁はけっしてバラ色の未来をもたらすものではありません。解禁に反対しているのではありません。業界に関わるものとして、リスクを指摘しているのです。

今回の選挙戦で橋下徹日本維新の会代表代行はツイッターに投稿し続けました。彼の論理では

「選挙活動ではなく政治活動だからセーフ」

というもの。しかし、自身のネット上での露出を狙った選挙活動であることは明白な事実。解釈の相違ということは踏まえてみたところで、前後の投稿から選挙活動におけるツイッターの更新が、違法に当たることを知りながら続けていたのですから「確信犯」です。

実際の裁判において有罪か無罪かは裁判官の判断ですし、現実問題、ネットが規制されているほうがおかしいという理屈には頷きます。

しかし、少なくとも公職選挙法違反として事情聴取はすべきでしょう。おかしな法律を変えることと、おかしいからと守らないのは別の話です。

例えばホリエモンこと、堀江貴文受刑者が逮捕されたことを陰謀と唱える人もいます。過去の事案と比較して、粉飾決算の額が少ないことと、粉飾は破綻企業にはいるものというのが理由です。

ただ堀江氏は「金が正義」のような発言を繰り返し、社会秩序へあきらかに挑戦していました。意訳をすれば拝金主義がまかりとおっているから拝金主義でなにが悪いのかという主張です。そこで小さな・・・とはいえませんが・・・違反をみつけた検察が、社会秩序のために動いた、これを陰謀とするなら陰謀でしょうね。

そして橋下徹さんのツイッター更新の社会秩序への挑戦です。おかしな法なら守らなくても良い。でも、その「おかしな」は主観に過ぎません。ツイッターをやらない人から見れば、その更新が止まったからといってなんら不便はありません。あくまでツイッターを利用している橋下氏の主観です。

そもそも橋下さんは弁護士です。誰よりも法を守らなければならない立場にある・・・はずですよね。それともこういうのしょうか。

「法律はクライアントの利益のためにある」

ま、民事の弁護士の「営業姿勢」としては正しいのでしょうが。

投票率に話を戻します。

これをあげるのは簡単です。「罰金」をとればよいのです。一回、投票しなければ住民税を問答無用で500円あげます。これは累積され、市区長選挙にもあてはめれば、東京23区の場合、区議会議員、区長、都議会議員、都知事、参院議員、衆院議員と、最大1年で3000円増税され、年間では36000円の負担となります。

反対に投票すれば500円減額。これは「選挙」という国民負担をさぼったことへのペナルティーです。

しかし、投票率の低下はそれ自体が「民意」の現れと言うこともできます。

ならばこうしてはどうでしょうか。

「白票が一位の得票数を上回れば、当選者なし」

再選挙もしません。その地域からは政治家をださないということです。とても日本人的謙虚さで

「国政を委ねる人物を我が地域からは現れませんでした。そのお詫びの意味から、我々の代表者はだしません。どうぞ、残りの皆様で話し合って決めてください」

ということ。その分、議員歳費も減りますので些少ながらも歳出を減らすことにも繋がります。

投票する「人物」がいないこと、それに伴い「民意」を反映させることができないという絶望感が、低い投票率へとつながっています。だから「いません」という「民意」を汲み取る仕組みができれば投票率はきっとあがります。

積極的に落選させることができないことも、選挙制度の欠陥のひとつではないでしょうか。

しかし、自民党の大勝利で悲しくなります。これでまた橋下徹氏がいうところの「バカコメンテーター」が

「自民党批判」

という一芸だけで食いつないでしまうことがです。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください