被災者を人間の盾とする卑劣な行為

 人生に突然はつきものとはいえ、12年前のこの日、米国でおこった悲劇に哀悼を捧げます。アメリカ同時多発テロです。

 テロリストの側にも主張があり、圧倒的な軍事力を誇る大国に対する小国や集団にとってはテロしかないというのは半ば常識です。

 しかし、民間機を乗っ取り、非戦闘地域の民間人を犠牲にする戦い方は認められるものではありません。

 仮にそれが建前であっても、いやむしろ建前だから守らなければならないことがあります。本音を美徳する昨今の風潮もありますが、本音だけで生きたとすれば、人の世は獣だらけになってしまいます。

 食欲に性欲、その他の欲求の赴く、すなわち「本音」のままに誰もが生きれば、理不尽に涙する犠牲者が生まれるからです。

 建前論からオバマ米国大統領は重大な失敗を犯しました。

 シリアへの軍事介入の是非を米国議会に委ねたことです。米国大統領が世界で一番孤独な職業と呼ばれるのは、世界最大の軍隊の指揮権をもっていることも理由のひとつです。それが故に「口先介入」であっても、相当の「攻撃力」を有していました。米国の持っていたスーパーパワーのひとつといっても過言ではありません。

 ところが今回は議会に承認を求めます。米国議会と言えば、捏造と虚像に満ちた「従軍慰安婦」なる虚妄を、在米韓国人と、それを後方支援する華人の働きかけで信じ込み、同盟国の日本を非難する決議をだすような見識の持ち主です。

 同盟国の民主主義を否定はしませんが、集団による決議は特定のバイアスという、橋下徹流に言えば「フワッとした民意」に流れ、ましてや議会は駆け引きの世界です。必ずしも大統領の思惑を反映するわけではありませんし、実際、武力行使に反対する流れになっています。つまり、オバマは米国のもっていた攻撃力を自ら放棄したのです。

 シリアについては、化学兵器を国連の監視下に置くというロシアの提案を、オバマが前向きに評価して、軍事攻撃が回避されたのではないかと、これを歓迎する声をネットに散見します。

 口先という血の流れない攻撃力を毀損した代償に目がいかない近視眼的発想です。人を殺せ、命を奪えというのではありません。

 そもそも厄介な本件に沈黙を守っていた米国でしたが、今年の8月にとつぜん「化学兵器の使用はレッドラインだ」とオバマが口先攻撃を仕掛けます。

 レッドラインとは、その一線を越えれば「やるよ」という慣用句。そして先に述べたように、米国大統領の心次第でいつでも米軍をデリバリーできるところが、相手国へのプレッシャーでした。

 端的に言ってオバマは足元を見られたのです。ノーベル平和賞を受賞した日和見主義者と小馬鹿にされたのでしょう。絶賛核開発中と噂のイランと北朝鮮が、この「朗報」を見逃すわけがありません。

 口撃が不発で、さりとて攻撃にでて威嚇すらせず、決断を議会に押しつけることで大統領の責任を回避。建前が建前に過ぎないとバレれば、従うものなどありません。だからこそ建前は大切なのです。

 今回のシリアへの軍事介入を説明した米国務省は定例会見で、化学兵器の使用により、多数の市民を無差別に殺害したことが一般的に国際法違反に当たると強調しました。

 ロイターの記者は

「米国が核兵器を使用し、広島、長崎で大量の市民を無差別に殺害したことは、あなたの言う同じ国際法への違反だったのか」

 と質問。

 米国にとっての日本人の大量虐殺は、戦争を早く終わらせるための戦術で不可避だったというのが「建前」。質問を受けた報道官は回答を避けたと言います。

 この「建前」を理解するのは、大人の嗜みデス。やせ我慢の美学も、回りくどいセレモニーも同じです。マタ「うちの愚妻が」などと、状況に応じて表現を変えるのも建前の一種です。ちなみにかつての大人は「愚妻」が謙遜表現だと理解していたものです。

 祝! 東京五輪招致決定!

 冒頭にこう記したかった気持ちをグッと抑えたのも一種の建前です。今日がアメリカ同時多発テロのおこった日であるからです。いまの喜びへ続く道に、かつて大きな悲しみがあったことを、時には思いだし口にするとき、喜びを隠すのも大人の所作です。

 だからといって四六時中、悲しみに暮れているのは建設的でも健康的でもありません。神様が人に「忘れる」という機能を与えてくれたのは、いつまでも悲しみの縛られないためだと言います。

 さて、東京五輪招致のための最終プレゼンで、安倍首相が

「状況はコントロールされていると私が保証します」

 福島第一原発の事故を指してのことですが、これに放射脳が元気よく噛みつきます。また、好調なアベノミクスに歯噛みしていた、朝日新聞やその主張を聖書と盲信する小金稼ぎのコメンテーターがはしゃぎます。

 元共同通信記者の青木理氏は、テレビ朝日『モーニングバード』で語気を強めてこう言います。

「はっきり言えることは、“状況が完全にコントロールされている”というプレゼンは素晴らしいのかもしれないが、ウソですよ。これを日本国民や福島の人の前でいえないでしょう」

 しかし、安倍首相の発言は「建前」ですが同時に「事実」です。

 まず、安倍首相は五輪誘致のための助っ人として参加しました。そこで福島への質問に対して、

「いまだ予断を許さず、想定外の事故も多く、対策に追われている」

 と語ったならば、五輪招致は実現しなったでしょう。その時、非難の声を真っ先に挙げるのは、安倍晋三潰しを社是に据える朝日新聞か、先の青木理氏が所属した日本が嫌いな共同通信でしょうか。

 先の発言を「嘘」との怒声は、放射脳筋から聞こえてきますが、ならば問います。どの状況ならばコントロールできているといえるのかと。なぜなら、人類が経験したことのない未曾有の過酷事故だからです。事故レベルだけではなく、事故現場の状況や周囲の環境なども含めてです。

 幸いにもといってよいのでしょうが、人類は原子力発電による過酷事故を、交通事故ほど経験しておらず「最適解」を得ていないのです。

 理想論でならばなんでも言えます。東電に処理を丸投げしたのは前政権です。ちなみに自然レベルまで希釈した放射脳汚染水の海洋排水は世界中で行われていることですが、こうしたスタンダードな手法を現時点では禁じ手とされているのも、日本だけの特殊事情です。

 その状況下で「できる限り」のことをし、且つ、対策に追われながらも数週間単位での安全を確保している状況を「コントロール」と表現して「嘘」と非難されるものではありません。

 後手に回り、落ち度が見つかることはありますが、そのとき、現在の政府はそれを「放置」などしていません。10年、100年先の安心安全を望む気持ちは理解しますが、そんなものはそもそも幻想であることは大震災から学んだことです。しかも、災厄に向かっているのではなく、安全に向けて取り組んでいるのです。その過程において「いますぐ」の結論を求めるのは、火事の現場でいますぐ火を消せと迫るようなヒステリーです。

 人類にはできることとできないことがあり、大人には言えることと言えないことがあるのです。そして発言にはTPOも必要なのです。

 そして安倍首相を批判する連中は、返す刀でこう切りつけます。

「福島の復興が進んでいない」

 ・・・もちろん、加速させなければなりませんが、現時点の枠組みを作ったのは誰でしょう。野田でしょう。ペテン師菅直人でしょ。民主党政権下の3年で破壊された日米同盟の修復や、円高の是正に、対立は恒常化が確定路線となった中華文明圏に対抗するためには、

「遠交近攻」

 が不可欠で、その足場がために駆け回り、もちろん、被災地だって忘れているわけではありません。

 ただ、政権交代したからと、それまでのやり方をすべてストップして変更すると大混乱に陥ることは、民主党政権が「事業仕分け」でやってみせたことです。その先に待つの混乱です。これ以上、復興を混乱により停滞させるわけにはいかない、そこで継続しながら手を加えているのです。肝心なことなので繰り返しますが、いまが充分だと言っているのではありません。しかし、復興の進展と、五輪の招致はリンクはしますが、イコールではないということです。

 ちなみにたびたび取り上げていますが、震災時「被災地」より小選挙区で選出された衆院議員のほぼ全てが民主党であることを、日本国民は忘れてはなりません。本題とずれますが、選挙は人の命に直結することもあるという教訓です。

 最後にいまもっとも懸念しているのが、五輪招致と福島の復興の遅れを重ねた報道です。

 東京五輪招致決定を受けて、仮設住宅に住む福島の被災者にマイクを向け、意見を求めますが、発言の大半は不満です。イヤミです。

 さらにこんな意見もありました。

「五輪の予算を復興へ」

 ・・・取り上げられた発言が、すべての福島県の被災者の発言だとは信じていません。テレビとは恣意的に、望む方向に意見を編集するものだからです。仮にこれが「総意」なら、奴らは嬉々として「アンケート結果」として発表することでしょう。それがない時点で、一部の意見の可能性が高いのです。

 まず、五輪の予算について。東京都が用意した基金4000億円とは、都民から集めたお金です。それもすべてよこせというのでしょうか。

 こういう珍説もあります。福島で作った電気で生活しておきながら。しかし、その為に福島・・・ただし全域ではありませんが・・・には特別な税金が投じられていました。原発周辺地域の善意にすがり、無償で協力いただいていたわけではありません。

 これも当然の話ですが、だからと放置してよい、無関係だといっているのではありません。復興予算は充分(この定義も曖昧ですが)に充てられており、現時点での問題はその執行にあるということです。資金不足と言うより、運営能力の不足です。建築現場を含めた人手不足も理由のひとつです。

 東京都の基金に対しての批判は、こういう主張に読み取れます。

「被災者の全ての人が震災前と同じ生活を取り戻すまで、日本全国の祝い事、イベントを中止し、浮いた金を福島に送れ」

 わたしの知る売る限りの東北人を思い浮かべても、こんな狭量な人はいません。確かに仮設住宅に暮らし、厳しい生活を余儀なくされ、見通しの立たない将来への不安に怯えている被災者はいることでしょう。そうした事実を持って、自治体や政府に問題点の改善を迫ることは、正しい報道の在り方です。

 しかし、論拠も乏しい被災者の個人的感想を持って、五輪招致を否定的に報じる行為は、被災地と非被災地の断絶だけを生む、百害あって一利なし。

 仮に安倍首相、自民党への批判が目的なら

「被災者を人間の盾とする卑劣な行為」

 です。被災者をどこまでしゃぶりつくすのでしょうか。被災者は特定のイデオロギーに支配された報道機関という名の、活動家のオモチャではありません。

 今日は東日本大震災から2年と半年。忘れていません。なにせいま、株式取引で利益がでるたびに「復興税」を納めていますので。

 なによりいまは「あまちゃん」。舞台は岩手ですが、あまちゃん人気は単に能年玲奈が可愛く、キョンキョンに惹かれているからではなく、震災へと向かうと知りながら見ていた人はすべて、あの日を忘れてはいません。そして物語は、2年と半年前のあの日から、復興へと歩きだしています。だから目がはなせないのです。

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