統計的に破綻している古市憲寿

バカは死ななきゃ治らないといいますが、バカも社会の彩りですから、死んで欲しいと願っているのは国賊の菅直人ぐらいのものです。だから、古市憲寿というバカの存在も死ねとは思いませんが、結局、彼を見ていてつくづく感じるのは日本の劣化です。

テレビも新聞も・・・もちろん、ネット有識者いうところの「オワコン(終わった)」ならば、断末魔の叫びとして聞き流しますが、実際にこの主張はネット関係者の嫉妬に過ぎず、津田大介氏どころか、切り込み隊長と名を馳せた山本一郎氏もテレビででるとはなんでしょう。

閉店が決まったレストランに行列ができるというのはわかりますが、ならば一度で充分の気もしますが、レギュラー的に出演するのが不思議です。

いや、まだ終わっていないのです。テレビに出れば本が売れ、イベントに客がはいり、新聞に寄稿すればステータスが上がるのです。なぜか? これらの読者や視聴者は、そこまでネットに真剣に張り付いているほど「暇」じゃないからです。

だったらテレビを礼賛して欲しいなぁと「テレビっ子」として願うばかりですが、山本氏をテレビで見かけたのは「いいとも」と同じく打ち切りが噂されるフジテレビ「とくダネ!」で、この局もこの番組も本当にクズに成り下がったのでアンビバレント。

で、古市憲寿氏。このブログで取り上げたところ「不快」との組み合わせで検索結果の上位に表示されることから訪問者も多く、彼の名前を見るだけで「不快」になるわたしとしては痛し痒しですが、物書きの端くれとして期待には少しは応えなければ考えていたところに飛び込んできたのが「僕らの時代」。

フジテレビの日曜朝の番組で、古市憲寿が出演した翌日、このブログへのアクセス数が急上昇していたので、きっと「不快」だったのでしょう。ザッピングの最中に、このバカがうつったので、二度とチャンネルを合わせなかったので内容は知りません。日曜の朝から「不快」を望むものなどいませんからね。

話を戻します。「朝生」。生番組を装いながら、左翼崩れの田原総一郎による偏見と偏向に満ちみち、「人の話はちゃんと聞く」という話し合いのルールを崩壊させた亡国番組で古市憲寿はやってくれました。

元日特番で昨年の12月26日、安倍首相の靖国参拝をうけて「安倍首相の靖国参拝を支持するか否か」と電話とFAXによる「世論(せろん)」調査が行われました。結果は

支持 71%
不支持 29%

と指示が7割です。これに古市憲寿が噛みつきます。

「まあ統計的にはあまり意味のない数字ですけどね。この番組を見てる人がどう思ってるかってことですね」

バカですね。だいたいこの学生の身分の小僧(というほど若くもない。世間知らず、常識欠損の比喩です)を「社会学者」と紹介するメディアの知性への敬意の損失を見れば、このバカの程度も知れるというものですが、古市憲寿は「統計的」の意味を知らずに学者を名乗り、そのまま放送しているのですから。

統計とは何を分母にするのかで結論が変わります。しかし番組内のアンケートにおいての「統計」とは、視聴者の声の具現化でアリ、統計とは特定の分母における「声」の視覚化だからです。つまり視聴者の声とは限定された条件においての「統計的」な結論なのです。仮に古市憲寿が

「すべての国民の声とするには疑問が残りますがね」

としたならば、ひとつの見識ではあります。ネットでは自説が破綻したからのちゃぶ台返しという指摘もありましたが、そこまで深い思考も古市憲寿にはないと睨んでいます。では、どういうことか。

1:「統計」と持ち出すことで学問的な香りを演出
2:しかしアカデミックなツッコミを避けるために「的」とつけるのは、少し前に流行った若者言葉の「みたいな?」と同じ用法
3:意味の無い数字のまえに「あまり」とつけ、表現を回避するのも「2」と同じ
4:数字を否定ながら、「あまり」の論拠を示していない
5:この番組を見てる人が・・・は、先に指摘したので割愛

以上を総合して結論を述べるとこう。

「ぼく、ちょっともの知っているよ。日本の右傾化はダメダメ、多分みたいな。だって僕たちは戦争を教えて貰っていないモン。賢いボクチンが知らない結論は認めないね。そもそもこの番組を見ている視聴者ってボクチンよりバカでしょ?」

バカというのは他人を見下すことで、自分を高みにおいて安堵する性質があります。格言にある「無知の知」や「賢者は愚者から学び、愚者は賢者から何も学ばず」の、正反対をイメージすれば古市憲寿の人間像に迫れることでしょう。

ちなみに

妥当372,861票(76.3%)
妥当でない115,870票(23.7%)

とは、『Yahoo!ニュース』が参拝直後から、今年の1月5日までに集計した同様のアンケート結果で、かなり近い数字が見られます。朝生は電話とFAX、こちらはネット集計。

どちらも偏りがあるとみるのが「統計的」な視点で、さらに既存メディアである産経新聞とFNNの調査では

評価する・・・38・1%
評価しない・・53・0%

となっております。
なんだ古市憲寿の主張も正しいではないか。と、思ったあなたは「統計的」の「詐術」にはまるタイプ。

朝生は参拝について「支持・不支持」、ヤフーは「妥当・妥当でない」、産経は「評価する・しない」。言葉のチョイスが似て非なるものなのです。

この設問において、支持と妥当は、ほぼ同義といってよいでしょう。参拝そのものは内政問題で、不支持や妥当でないとは答えにくいからです。一方の産経は「評価」と上から目線。すると「もっと違うやり方があった」と、代替案も出さずに意見を述べるのは「評価しない」に分類されます。

だから、これら3つの世論調査を直結して結論下すのは、統計的にあまり意味がありませんが、それぞれの「数字」には一定の意味があります。

しかし、古市憲寿という数字を読み解けない自称社会学者を元日から出演させるテレビは確かに「オワコン」かもしれません。

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