ビットコイン狂想曲:ビットコインのこれからと報道(8/8)


 それではビットコインはどうなるか? 現時点では収束に向かうとみるべきでしょう。また利用者数の少なさから、ビジネス的価値からホワイトナイト的な名乗りを上げる企業の登場も難しいといえます。「妄想記事」としてなら、起死回生の秘策としてマイクロソフトあたりが名乗りを上げることも考えられますが、そのまま「自作自演」で「自爆」する公算が高いでしょう。利用者数とは市場規模と同義だからです。

 グーグルやアマゾン、FacebookやTwitterはといえば、彼らは一定のユーザーを抑えており、ならば「自国通貨」を流通させる方が賢明でしょう。三木谷浩史ご自慢の「楽天経済圏」における「楽天ポイント」のような発想です。

 一部の好事家の間で「名誉通貨」として残る可能性はあります。「技術」を貨幣と見なせる層、あるいはこうしたギークを必要とする企業の間での流通です。例えば採用条件に「100BTC以上の資産」といった形で。そして再構築された信用の上に小さな花が咲くことはあるでしょうが、間違っても通貨の代わりになることがないことはこれまでに述べてきた通りです。

 そしてこれらは少し考え、調べれば分かることばかり。ところが事件が明らかになるまで礼賛記事が主流を占め、小さな事件が起きても、奥歯に物が挟まったかのように批判の刃が錆びていた理由をもって「ビットコイン狂想曲」を結びます。

 わたしはいくつかの(ギャラを貰う)連載を持っていますが、そこでなにを書いて良いと許可されたものではありません。マイナビは比較的自由が許されていますが、あくまで「0.2(バカ)」を軸とする連載で、ただの批評や批判だけでは企画が死にます。一方のWeb担は、現場のノウハウを中心とし、どちらかといえば経験談などの事実が中心となります。すると「ビットコイン破綻」という「まだおこっていないこと」は書けません。

 昨年の夏より解禁された「ネット選挙」の書籍企画をもち、出版社を回ったときも同じです。まだ起こっていないことについての企画はリスクが高いと断られ続けました。ネットは地続きでそこにある世界で、既に起きていることを係数とすれば、おおよその結論は導かれ、多くの場合「ネット有識者」の語る楽園的未来は訪れません。

 その指摘だけでも社会的価値はあるとわたしは考えますが、新聞も出版社もそうは考えないようで、「起こってから」しか行動しません。だから「起きている」ことだけを追えば、破綻するまで、露呈するまでどんな詐欺でも楽園を喧伝しており、被害を拡大させる加担をしても彼らは責任を取りません。

 ビットコインについても同じです。貨幣をめぐる「リアル」、税制という「現実」からアプローチすれば、通貨としての存在の困難さは明らかでした。そして今回の取引停止騒動が、ネット上で噂されているような「不正アクセス」だとしても同じです。

“ネットに接続している以上、不正アクセスは100%起こる”

 のが常識だからです。これに対し組織的に対策を立てるわけでもなく、また対策を重ねた歴史を持たない「社会実験」がビットコインの正体・・・というより、

“サトシ・ナカモトなる「仮想人物」の仕掛けた取り込み詐欺”

 という可能性だって否定しきれません。

 一部の好事家の嗜みなら、彼らはリスクも踏まえた知的ゲームと楽しんだことでしょう。しかし、現象のみを追い掛けるあまり、それを肯定する「有識者」ばかりをフィーチャーした「報道」の責任もまた、問われるべきではないでしょうか。

 ちなみに肯定し礼賛した「有識者」は罰しません。彼らはそういう「芸者」ですから。ただ、彼らを生かして肥らせているのはメディアです。

ビットコインとは(おわり)
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