ラーメン屋で人を踏み殺してはいけないと韓国政府に教えてあげろ

 誰もが心に正義をもっています。ラーメン店のトラブルで「フットプレス」により殺人を犯した彼にしても、その刹那における彼なりの「正義」があったのでしょう。極端な例を出したのは「正義」ほど定義のあやふやなものはないという例えです。

 もちろん、殺人者の正義など認められるものではありません。しかし、それは現代日本における共通理解に過ぎません。すっかり「国」であるかのように語られるテロ集団「イスラム国」において異教徒の殺人は「正義」そのものだからです。

 そしてお隣「韓国」において揺るぎない正義とは「反日」であり「侮日」です。日本を批判することはすべてに優先され、そこに「法」の精神などないことは、日本から盗んだ仏像を返さないことからも明らかですし、そもそも戦時下において、というより「日本」だった時代に、その「日本」に協力したことを「罪」とし、子や孫の資産まで取り上げる「遡及法」が成立するに至っては、彼の国にいわゆる文明国における「法」がないことを証明しています。

 産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が起訴されました。名誉毀損です。この狂気レベルの異常事態は、本日紙面の産経新聞社社長 熊坂隆光氏の「声明」が端的に語るので引用します。

“日本の報道機関が日本の読者に向けて、日本語で執筆した記事を韓国が国内法で処罰することが許されるのかという疑問を禁じ得ない(一部抜粋)”

 これが許されるなら、安倍首相は韓国の「中央日報」らは当然として、「ニューヨークタイムズ」や「フィナンシャル・タイムズ」も訴えることでしょう。もちろん、そんなことはしません。これらの新聞は「右翼」「軍国主義者」「歴史修正主義者(欧米では親ナチスを意味する)」と根拠なく憶測記事を書いていますが、大手を振って日本国内を闊歩し、母国との往来を規制はしません。日本は「法治国家」だから当然です。

 すなわち韓国、大韓民国は法治国家ではないのです。危険です。外務省はすぐに「渡航禁止」に指定すべきです。警報は「空振りだったね」と後に笑うぐらいがちょうど良いというのが、昨今の自然災害から得たコンセンサスで、韓国はナチュラルボーンの無法国家なのですから。

 と、気勢を上げるのは「表現の自由」の弾圧だからです。私も物書きの端くれです。ましてや、パク・クネ(怒りの余り敬称略)がヒステリーを起こしたとして、自国民を弾圧したとしても、それは彼ら韓国民が選んだ圧政です。ところが起訴されたのは日本人です。対象となったのは日本のメディア(産経新聞)です。民間の報道機関への攻撃を「内政干渉」と表現するのは無理がありますが、人の庭に土足で上がり込んでいるのは間違いありません。

 起訴という韓国の公権力が行使された以上、日本国の公権力も行使すべき段階に入ったのです。腰抜け外務省の出方を注視したいところですが、困ったことがあるたびに公権力を頼るのもまた意気地のない話。そこで、こうして駄文ながらも微力への祈りを込め、キーボードを叩いている訳です。

 ところが、日頃、言論の自由や表現の自由を大切とし、特定秘密保護法のときには政府の恣意的な解釈という、現時点においては妄想レベル危惧から反対の論陣をはっていた、リベラルや左派から具体的な反論は聞こえてきません。

 例えばテレビ朝日「モーニングバード」での松尾貴志。

“誹謗と批判の判断は難しい”

 と言葉を濁します。まず、誹謗しているのは韓国メディアで、それを引用したに過ぎません。まして、その対象は「大統領」です。公権力の長です。

 自民党やら安倍政権へは「憶測」を絡め平然と誹謗と批判を繰り返す自分への言い訳ならば、「どちらも見逃せ」と言うべき所を松尾貴志は口にしません。

 あるいは誹謗と批判の線引きを、自らもっているなら開陳の上、本件をジャッジメントすれば良いのにこれもしません。

 韓国マネーへの配慮でしょうか。それとも産経新聞なんて潰れてしまえと願っているのでしょうか。あるいはそもそも、松尾貴志のおける表現の自由や報道の自由とは、己のイデオロギーにおいてのみ適用される特殊法ということでしょうか。

 本日残念だったのは、同じ論調ながらより活動家色を各紙もしない「玉川徹」が出演しないこと。活動家としての語るのか、報道陣だったかつての自分を思い出して言葉にするのかを楽しみにしていたのですが。

 もっとも、韓国における市民団体とは親北勢力で、日本における左翼とリベラルと親和性が高く、あいまいな発言でお茶を濁すことが「援護射撃」なのかもしれませんが、だとしたら「表現の自由」など語る資格もありません。もともと、偏っていましたがね。

 一点心配なことがあります。加藤達也前支局長です。心労の果てに自死を選択したとして、日本国政府はこれを見殺しにするのでしょうか。いや、そうでない国であって欲しいと願います。そのとき、国論は沸点を迎えるかも知れません。私はそれをこそ、危惧します。

 これを防ぐには韓国の「正義」を認めないこと。間違っていると外交レベルで抗議し、世界に発信することです。幸いなことに韓国の「正義」が通じるのは、世界では少数派。少なくとも西側諸国で、このような「蛮行」を受け入れる国はありません。

 「正義」とは「常識」と置き換えても良いでしょう。健全な民主主義の支える「報道の自由」を弾圧する行為は、ラーメン屋で人を踏み殺してはいけないぐらい「正義」に反します。

 韓国が無法を働けるのは、日本が「殴り返さない国」って足元を見られているからなんですがね。

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