佐藤優の読み解き方(今月の「WiLL」特別編)

■佐藤優の読み解き方(今月の「WiLL」特別編)

 佐藤優氏といえば「外務省のラスプーチン」と異名を誇った、元外務官僚で、鈴木宗男氏の懐刀といったほうが解りやすいでしょうか。

 背任の容疑を本人は否定し、裁判で争うも有罪が確定し、執行猶予ながら、国家公務員法の規定で失職。その後、作家活動に転じ、捜査の舞台裏を綴った書籍がベストセラーに。

 その後の活躍は多くの人の知るところで、「WiLL」でも『ネコは何でも知っている』という連載を持っています。

 ある方から「佐藤優氏をどう思うか」と訊ねられ、そのとき答えた感想を紹介します。

「ロシアがらみの記事では、さすが元専門家と参考になる意見も多いが、自身の利益に絡むことは、言葉を左右するので慎重に読み解かなければならないし、鵜呑みしてはいけないタイプ」

 もちろん、面識もないので、彼の発表している文章からの印象に過ぎません。しかし、論拠のない「皮膚感覚」の話ではありません。

 WiLLの連載では、飼い猫に語らせるという『吾輩は猫である』の手法を踏襲しています。そのネコが「iPad」を巧みに操作し、ご主人である佐藤優氏の見解を語ります。

 ネコに語らせるのは、洒落とインテリジェンスの両面からなのでしょうが、複数のネコを登場させることで、常に「飼い主」の見解を正しいと導くのが、彼の巧みさであり狡猾さです。

 自己啓発系の書籍ではよくあるテクニックなので気がついたのですが、第三者に語らせることで、自己宣伝を完了させ、登場人物を増やすことで、自説を補強させます。

 もっとも人ではなくネコ。ということで、トラブル発生時の余白も作っているのでしょう。ずるいなぁと、これは褒め言葉も半分として、感心し毎月拝読していました。

 ところが今月号(2015年8月号)の

“「安保法制」の盲点と「国内植民地」沖縄”

 はいただけません。狡猾さも過ぎれば、論理破綻する典型例であり、佐藤優氏の文章における「悪弊」がもっとも露骨に出ているものでした。もっとも「文章」ではなく、対話形式なので、話しの要点を編集者が整理したときに「際だった」のかもしれませんが。

 同じく元外務官僚の岡本行夫氏との対談で、佐藤氏は沖縄を「植民地」と位置付け、民族問題だと設定します。

 見解は人それぞれ。名のある佐藤氏の発言として軽率に思えますが、彼は軽率にものをいうほど浅はかではなく、ならばその発言には政治的な目的があると見るべきですが、ここではそれに触れません。

 彼は沖縄県民を、彼独自の解釈から4つのタイプに分け、自分のタイプを指し、

「私の母親は沖縄県の久米島の出身ですから私には皮膚感覚で分かるのですが(以下略)」

 とします。

 WiLLの連載にある佐藤優氏の経歴は「東京都出身」であり、同志社大学の卒業となっております。ウィキペディア情報をすべて正しいと信じてはいませんが、彼は埼玉県の大宮市、現さいたま市に育ち、埼玉県下の名門校「県立浦和高校」を卒業。

 京都にある同志社大学にはいり、そこで無神論に走り学生運動に傾注しつつも時系列でみれば直後に、プロテスタント信者に転向します。そして外務省に入省すると旧ソ連勢力圏で実績を積み、その筋の専門家になった形跡が見られます。

 沖縄との接点はありません。

 親のDNAが色濃く表れるのは背格好や運動能力などで、住民感情や価値観は育った環境に起因します。沖縄の特殊問題を皮膚感覚で分かるとは不思議な理屈です。

 また、彼の年令からは、ご母堂が彼を生んだ頃、沖縄は米国の占領下にあり、内地に渡るにはパスポートが必要だったはず。あるいは、それ以前、当然のように日本だった時代、内地に渡っていたとすれば、ご母堂の「沖縄体験」もかなり違うものだった、とは一般論からの想像に過ぎませんが。

 佐藤理論で行けば「そんなの関係ねぇ」で一世を風靡した、芸人の小島よしお氏の母上様も、久米島の出身で、小島よしおは「うちなんちゅ(沖縄県民)」のことが、皮膚感覚でわかることになりますが、バラエティ番組で彼は東京近郊の出身であり、沖縄に対する特筆すべき感覚が無いと告白しています。

 当たり前の話しです。高知県生まれ大阪育ちの父と、東京都出身の母の間に生まれた私は、これらの地域を皮膚感覚で分からなければならず、新潟と千葉県のハーフである、妻は雪国の辛さを理解しなければなりませんが、生まれも育ちも足立区竹の塚の彼女は、田舎の不便さをまったく理解できませんし、皇太子妃殿下の実父一族は新潟県柏崎の出で、義父は同小千谷市で、まるでご近所さんのように義父は語りますが、両者の距離は、足立区と練馬区より離れており、その気持を妻はまったく理解できません。

 この点、小学校に上がるまでの3年半を高知県で過ごし、高校2年生の夏休みに1ヶ月ほど窪川の山の中にあった祖母宅に寄生(誤字ではなく、旅行ではなく居候状態だったので)していた私には、少しだけ田舎育ちの義父の感覚が理解できます。

 幼きながらも、また押しかけニートながらも、生活をしていたからです。つまりは環境により身についたもので、DNAの発現による皮膚感覚ではありません。

 その田舎暮らしの経験が、佐藤優氏の論理展開に散見する「狡さ」に気がつかせたのかも知れません。住民感情とは、そこで生まれ育つだけではダメで、いまもそこで働き、暮らしていなければ、本当のところでは解りません。

 ところが彼は「皮膚感覚」という珍説で、自説の正しさを主張します。それは漫画家の倉田真由美が、民主党が躍進した選挙直前に、どこの政党に投票するかと問うた新聞に「直感」と答えた程度の論拠しかありません。

 佐藤優氏の情報分析のすべてを否定するつもりはなく、頷くところ、なるほどと考えさせられることも多いながら、こうした「狡さ」を間引かなければ、彼に騙されます。

 特に利害関係に鋭敏で、そこに公平さはなく、だから鵜呑みは避けなければならず、反対に彼の利益に絡まないところは、信用できる可能性が高い、と私は読み解いています。

 これはWiLLの連載に顕著で、外務省時代に敵対関係にあったもの、意見の違う相手には露骨に攻撃を仕掛けます。分かり易い例としては、「実名」を挙げて批判するのです。

 公務員ですから職務における事実を、実名をもって紹介することに問題はありませんが、関係者への警句ならば、状況を匂わすだけで充分に伝わることを、わざわざ「実名」を挙げるのは復讐以外の何者でもありません。さらに言葉を加えれば、お役人が反論できないことを知っての攻撃です。

 一方で

“いまでもよくモスクワから電話がかかってきて、ロシア語で話をしている(今月号)”

 と、自分を大きく見せることに余念がありません。本当にいまもインテリジェンス(情報、諜報活動)に、従事しているのなら、つながりを公開することにはデメリットしかありません。

 違法とされていますが、事実上は行われている公安どころか、各国の諜報機関の盗聴の「餌食」になるからです。

 ただし、これも「深読み」させることで、自分を大物に見せるための演出で、

「俺、昨日、○○先輩と話したんだけど」

 といきがるマイルドヤンキーのアピールと私は睨んでいます。

 ○○先輩と話した言葉とは「ちーす(挨拶)」ぐらいで、せいぜい先輩から「元気か?」と話しかけられたことを大袈裟に自慢しているのではないかと。会話の内容まで話さなければ、嘘ではないという論理です。裏でこそこそ悪さをするタイプにみかける特徴です。

 また、モスクワから電話がかかってきているのは本当でも、個人的な繋がりからの私的な通話なら、インテリジェンスにおいて大した意味は持ちません。

 先行き不透明なロシア経済を語る上で、一般ロシア人の「生活感」を知るというメリットはありますが、国内において荻原博子女史が語る、国家予算と家計簿を同一視する経済論ぐらいの価値しかありません。

 同対談で芥川賞候補に挙げられた、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹氏の小説に触れ、又吉の父が沖縄で、母は奄美群島であり、ここでも「佐藤理論」における矛盾が露呈していることは後に述べるとして、小説のワンシーンを紹介、

“又吉さんのご両親が沖縄出身で、沖縄人だという自己意識がないと生まれてこない作品だと思います”

 と「血の自覚」を強調しますが、彼は大阪に育ち、比較的貧しい家庭に育っており、文学的にもっとも影響を受けたのは太宰治で、これらの共通項から「沖縄」を導き出すのは強引です。

 単にいま旬の人で、沖縄に関係する人を引っ張り出してきて援用しているのであれば、

「3コ下の××、よく面倒見たんだよ」

 と、友だちの友だちの家の隣に住んでいた子供が甲子園にでて、それをたまたま知って、第三者に自慢しているようなものです。

 決めつけが多いのも佐藤優氏の論理展開です。思いこみの強さが意味するところは、自己肯定感が強さです。官僚出身だという点で、「I am not ABE」の古賀茂明氏に通じます。

 役人をスポイルされる人間の特徴なのかもしれません。集団に尽くすことを求められる職場では、滅私奉公が求められ、己の信念を曲げることも時には必要です。

 ところがこれには従えない。だからスポイルされるのです。

 信念を曲げないことは大切ですが、それが輝くのは役所を辞めてからで、通産官僚出身の村上ファンドで名を轟かせ、執行猶予もすっかり解けた最近、またぞろ活躍が噂される村上世彰(むらかみ よしあき)氏のように、省内でやることを終えたら、とっとと出ていく人は少なくありません。政治屋を目指すのもベクトルが違うだけで「自律的な信念」によります。

 古賀氏と佐藤氏に共通するのは、その職にしがみついたところです。

 自分は間違っていない、省やまわりが間違っている。

 そうかもしれませんが、それが通じないのが社会であり組織です。イヤなら出ていく、理想を実現したければ、政治屋になるか、自分で会社を興すか、他国へ移住すればよいだけのことです。

 官僚のまま、思いのままにしたいとはワガママ。だから自己利益に敏感とは、勝手なプロファイルに過ぎませんが。他律的なのです。

 思いこみが強く表れているのが、先の対談のこんな一節です。

“『WiLL』の読者からすると、「普天間基地の辺野古移設は国で決まったことだからつべこべ言わず、流血でもなんでも辞さず強行すればいいんだ。基地でカネもたっぷり貰っておきながら、甘えたこと言ってんじゃねぇ」というのが一般的な考え方ではないでしょうか(岡本氏との対談より)”

 どこの「ネトウヨ」をウォッチしているのでしょうか。佐藤優氏は。

 WiLLのような文字だけの(グラビアページも充実! と宣伝)月刊誌を、わざわざ購読している層は、論理的な思考を好み「つべこべ言わず」とは遠く、暴力的な解決はかつて佐藤氏が夢見た左翼の発想です。

 強制執行や代執行は、手続きを踏んでのことで、「つべこべ」を言う時間は充分に与えられているものですから、混同するのは論理的態度ではありません。

 辺野古移設は当時の県知事も踏まえた論理的な帰結で、こうした議論の過程を「WiLLの読者」という仮想人格によりすべて破壊させてしまうことで、辺野古移設側を「悪」に設定することを試みているのです。

 さらに「カネもたっぷり」「甘えたこと」と誇張します。

 とにかく「狡い」、狡猾なのです。

 佐藤理論とは屁理屈の産物。少なくとも今回の岡本氏との対談ではそう結論続けることができます。特に沖縄問題は、彼がこれから飯の種にするためにエキセントリックになっている、つまりは過激な主張をすることで、しかもそれが沖縄県の過激派に喜ばれるように寄せることで、論壇での地位を得るために、論をこねくり回しているのではないか、というのが「自己利益の最大化」というフィルターを通して見た佐藤優氏の「沖縄植民地」理論です。

 だから論理破綻を気にもしません。

 沖縄を民族問題とし、廃藩置県は終わっていないと主張し、つまり沖縄県は「植民地」だというのです。

 一方で奄美や石垣、宮古島などを、琉球王国時代の「植民地」と設定します。15〜16世紀と時代を遡りますが、琉球王朝による「琉球統一」は、彼のDNAが発現する久米島にも及びました。

 しかし、久米島だけが「植民地支配」なるものから免れたというのでしょうか。それ故のDNAの発現で、沖縄本島人の気持が皮膚感覚で理解できるというのでしょうか。

 いや、仮にそうだとするならば、宮古島を植民地支配して収奪したDNAは、いつ発現するのでしょうか。つまり、彼の説を信じるのであれば、沖縄本島の人間は「植民地支配する側の論理」、すなわち本土=中央政府の気持を、皮膚感覚で理解できるということです。

 理解した上で、無理を言っているならば、それは「ゴネる」というのです。インテリジェンスはともかく一般人の世界では。

 ふと思い出すのがピースの又吉直樹のご両親で、DNAが皮膚感覚を呼び起こすなら、植民地支配をした側とされた側の感覚を持ち続けた上での夫婦生活となります。いや、そもそも「佐藤理論」に経つなら、世界中に溢れる「旧植民地」の国民にまで派生しなければなりません。

 仮にそれが琉球民族だけに発現するDNAなら、とんでもない「優生思想」です。そこかしこにサヨクの空気が漂うのも佐藤優氏の特徴です。

 そしてこと沖縄問題に関しては、佐藤優氏は中国の代弁者なのかも知れないと思う記述を紹介し、その無謀な主張を笑っておきます。

 日本政府が中国脅威論を持ち出したときの沖縄の反論として

“それでは伺いますが、中国人が何人沖縄で殺しましたか? あんたらは何人殺したか?(同)”

 中国人という概念が生まれた線引きは諸説あるとしても、少なくとも沖縄に、中国人が往来するようになったのは、戦後の話しで米国の占領下にあった沖縄に喧嘩など売れる訳がありません。中華民国は日本軍を破ることが出来ず、中華人民共和国の樹立は日本における戦後の昭和24年です。

 本能寺で追い込まれた織田信長に

「LINEで秀吉を呼べ」

 とアドバイスするようなものです。その時代になかったものを、持ち出すのはアンフェアというかファンタジーです。また、先の戦争で沖縄県民を殺したのはアメリカ人です。こんな人間が外交を担う、外務官僚だったかと思えば、そりゃあ韓国に舐められるわけです。

 集団自決の有無については議論が散漫になるので避けますが、琉球処分にまで遡るなら、琉球王朝による軍事制圧により血を流した宮古島の先人に、なんというのでしょうか。

 宮古島は宮古島で決め、沖縄本島は本当で決める。とするならルールもへったくれもあったものではありません。

 自説のゴリ押しのためには論理破綻も厭わない。日頃は巧妙に本心を隠しながら、自己利益の最大化を目指す、佐藤優氏の馬脚とういか本性が見えるという点で、今月号のWiLLは必読です。

■月刊 WiLL 2015年8月号「安倍総理が国民に訴える!」
http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=B00XVHTP8C

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