夫婦別姓合憲判決に炙り出されるパヨク

 つまらない結論を先に述べておきます。国民の議論の結果に従います。何かと言えば「夫婦別姓」について。

 為政者の都合が良いのが現行制度という、真をついた皮肉はともかく、現行制度に従いたくなければ従わなければ良いと考えます。法を犯せとはいいませんが、結婚しない自由どころか、同性間の恋愛も、法律も憲法も禁止していないからです。

 実のところ、成人同士なら親子、兄弟、姉妹であっても、恋愛そのものを罰する法律は、ありません。多分。姉は亡くなりましたが、妹は健在で、母も多分そうで、だからと妄想すらできませんが、自分ができないからと他人も同じと思うほど、度量は小さくありません。

 しかし、最高裁大法廷が12月16日に「夫婦別姓は憲法に違反していない」と判決を下し、パヨクが発狂状態。パヨクとは今年終盤になり一瞬で定着した、左翼への蔑称のネットスラングです。語源についてはこちらを「パヨク難民が逃げ出した理由は嘘と内ゲバ」。

 最高裁が違憲じゃないとしたのは、至極真っ当な判断。とは、私の見解とほぼ同じだから当然で、結婚は本人の選択で、男性が女性の姓になることも禁じてはいないからです。

 一方、夫婦別姓推進派、というより夫婦別姓原理主義の人らは、婚姻した夫婦の96%が男性の姓を名乗るのは、別姓の選択肢がないからと主張しますが、各種世論調査でも制度そのものへの賛否は拮抗しながらも、自分はどうするかとの問いには7割前後が同姓を選んでいます。

 つまり、他人事、理論上は別姓に「いいんじゃね(平板)」と言いながらも、「俺はムリッす」というのが世論(せろん)だということです。

 興味深いのが、今回の件でもパヨクな人らの自爆がとまらないこと。まとめると、彼らの主張はこんな感じ。

“夫婦同姓が日本の伝統と言うが、明治にできた法律に過ぎず、たかが100年。日本の伝統文化ではない。そもそも明治になるまで、日本に苗字はなかった”

 明治時代から続いているテーラーなら、同じく洋食屋なら立派な老舗であり、その店毎の伝統文化があると、誰もが認めることでしょう。一方で、醤油屋や宮大工なら、100年以上続くお店(たな)は多く、金剛組に至っては1400年を越える歴史を誇ります。

 両者を比較して、洋食屋風情が伝統を語るなと言うでしょうか。ましてや、国家滅亡レベルの敗戦を挟んでの100年を経ても、残された制度なら、奇跡のような「戦後復興」に果たした役割もあるかもしれませんが、ないかもしれません。

 タイムスケールをどこに求めるかの話しで、「皇紀」でみれば100年など最近のことに過ぎませんが、「戦後70年」を新しい日本とするならば、前史時代から続く、立派な伝統文化といえます。

 パヨクや、それにつらなる進歩主義な人が、「たかが100年」とは自分の首を絞めているところが実に面白い。なぜなら、彼らが後生大事に守ろう等する「憲法」とは、その70年前にちょろっと進駐軍が作ったものだからです。

 100年間かけて受け継がれた夫婦同姓は切り捨て、70年前の憲法9条は世界に類を見ないし、改正されていない「最古の憲法」だから守りましょうという理屈は通りません。

 なお、私は憲法改正論者。どちらに転ぶにせよ、憲法如きは人間が定めたものに過ぎず、時代にそぐわなくないのならば変えるのが当然だからです。その仕組みを最善と称揚はしませんが、少なくともその時代を生きる人々の多数意見で改訂されるのが民主主義ですから、まずは変えてみて、それでダメなら元に戻せば良い、と考えるのです。

 夫婦別姓に話を戻します。明治になるまで、町民や農民に苗字がなかった。これは語弊、というより揚げ足取り。制度としては確かにその通りですが、代わりに各家には「屋号」がありました。

 家族や一族を区分するための記号としての苗字や、それに類するものはあったのです。制度としてなかったことをもって、存在を否定するのは

「江戸時代は誰も勉強しなかった」

 というようなもの。義務教育の制度はなくとも、私塾である寺子屋は、百姓の子らでも通っており、大衆の識字率の高さに黒船どもが驚いたとは、各種文献に残されています。

 さらに別姓原理主義者は「海外では」と持ち出します。これへの回答はこう。

「だったら他所の子になりなさい」

 幸いにも日本国は民主主義を採用しています。だから、夫婦別姓を支持する国民が多数派になれば、いつでも別姓にすることができる「方法」は残されています。国連がどうちゃら。国連がまともな機関だと、信じているほうがどうかしています。あれは、法人会や商工会の地域会合みたいなもので、声の大きなオヤジが幅を効かせる親睦団体で、退会すればどんな陰口が叩かれるかわからず、その面倒を考えれば、加入しておいた方が「面倒が少ない」というレベルの団体が国連です。

 安定してずれた意見を開陳する、評論家の宇野常寛氏は、日本テレビ「スッキリ!」にて、今回の判決を

「司法は逃げた。そもそも世界中には苗字のない人が一杯いる」

 と相変わらずな評論をしていましたが、テレビ朝日「羽鳥慎一のモーニングショー」の後塵を拝する日が増えているのも分かります。

 最高裁は立法機関ではありませんし、男女どちらの国民にも選択の自由が与えられているのですから。なにより、宇野常寛氏は、どこか一国でも良いので、

「苗字ない国、あるいは個人」

 の名を挙げて発言して欲しい者です。あくまで評論家、一個人の発言であっても、番組として「解説」を発注し、それをオンエアしているのですから日本テレビに説明責任が求められますが、最近のワイドショーは「珍説開陳合戦」になっているので、そういうエンタメショーだと強弁されたら、そうですかと答えることでしょう。

 いずれにせよ、痛快であったのは、夫婦別姓原理主義者の多くが、脱原発で、安保反対で、辺野古移設反対で、まぁもののみごとにパヨクだったと、白日の下(ネット)に晒されたことです。

 ネットでの発言はストックされ、いずれかのときに「動かぬ証拠」となり、パヨクを追い詰めます。その時のパヨクな連中の行動は三択のいずれか。

「逃げ出す、無視する、逆ギレする(火病る)」

 いまから、楽しみです。

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