「ネット社会」の最大の問題はインテリにある

 イギリスの情報通信庁が5〜15才を対象にした調査で、検索結果に表示される「広告」も「情報」と理解しているのは、12〜15才で約3割程度と報告されました。また、同年齢のうちの2割が「検索結果に表示されていることは真実に基づいた情報である」と信じていることが明らかとなります。

 驚くことではありません。インターネットは興味に傾き、興味を持った対象への知識は深めるが、多様な視点を持ちにくい構造になっているからです。つまり「ネット以外」から、情報を検証する術を持たないのであれば、ネットから得た情報を否定するという発想そのものが身につかないのです。

 「ネット社会」を考えるとき、最大の問題がここから見えてきます。それは「ネット社会」を論じる識者の大半が「インテリ」だということです。それも真の意味での知識層というより、高学歴なだけの有名人や著名人で、「タレント」的な性質を帯びる彼らは、人気を得るために理想論を弄びます。

 あるシンポジウムで、ネットの「エコシステム」について意見が求められ、参加者が一様にその可能性を論じるなか、私はこう述べて、会場を凍りつかせたものです。

「大衆は愚か」

 だから歌を歌い、愛を語らうのであって、合理性だけで論じる限り、ネットにより拓かれる未来の姿を正しく捉えることはできない、という指摘ですが、どうやらお気に召さなかったようです。

 ネットが普及するにつれ、その利用者の人口構成は一般社会と同様になります。端的に言えば、いわゆる「インテリ」以外が多数派になるのに、少数の強者であるインテリの主張だけがマスコミにのり、政策に反映されます。

 この構造には深刻な問題があります。高度化した社会において、「情報」と「収入」は正の相関関係を持つからです。つまり、大衆は愚か、とまだ断じずとも、英国の調査結果が示すように、正しい選択、決断を下すのは実に難しいことだという「現実」に立脚した、啓蒙や政策が不可欠なのですが、市場を流通するのはインテリの理想論や、業界人のポジショントーク。

「格差社会」拡大の一因は、安倍政権よりも、インテリの「ネット論」にあります。

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