オスプレイを巡る狂気と自殺

 沖縄駐留米軍のオスプレイが不時着しました。12月13日の午後9時過ぎのことです。

 以降の騒ぎは広く知られるところですが、沖縄県の2誌と、法治国家にあるまじき横車を押し倒す翁長雄志沖縄県知事は、オスプレイの危険性の宣伝に余念がありません。

 沖縄だけではなく、本土のマスコミ各社も同じくです。読売テレビ(日本テレビ系列で放送)『ウェイクアップぷらす』は、元日テレ社員 森麻季にこう紹介させます。

「不時着しようとして大破」

 放送原稿というのは、大半はディレクターや記者が書くものですが、アナウンサーが書くこともあり、とりわけ細かな言い回しなどは打ち合わせ段階で確認するもの。

 森麻季論では、不時着を試みた結果の大破で、不時着が成功したことを伝えていません。明確に失敗したとも述べていませんが、印象としては「大破」が残ります。

 事実はこうです。

「不時着して大破」

 不時着そのものは成功し、その後に大破したのです。

 両者は明らかに違います。「大破」したのだから失敗という素朴な疑問を持つ人もいるでしょうが、不時着にはソフトランディングとハードランディングがあり、映画『ハドソン川の奇跡』のような着水が前者で、今回のオスプレイは後者にあたります。

 航空機が突発的な衝撃に弱いのは、戦車のような堅牢さを与えれば「重くて飛べない」という宿命によります。また、大破したオスプレイを見ると「重大事故(これは米軍もクラスAと認めています)」の印象ばかりが強まりますが、固定翼モード(プロペラが前方を向いている飛行機形態)で緊急着陸した場合、回転翼が外れる構造になっているとは、オスプレイの危険を煽り立てる「琉球新報(2012年1月21日)」が報じていたこと。

琉球新報「オスプレイ緊急着陸 固定翼のみ 米軍操縦士が説明」
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-186500.html

 そして事故映像を見る限り、確かに大破は大破ですが、正面からの着陸を試みたであろうことが見て取れ、一切のコントロールが効かずに地表に激突する、いわゆる「墜落事故」ならば、機体は四散し拡散します。一定以上の年令の方なら、あの御巣鷹の事故現場の映像を思い出せばわかることでしょう。

 ところがこの事故を政治利用しようと試みるものらは、「墜落」と掲げ、オスプレイが制御不能の化け物であるかに論じます。

 米軍準機関紙『星条旗』は事故直後に「墜落」と報じましたが、両国の正式見解は「不時着」で、航空関係者の見解も同じく。両者の決定的な違いは、着陸を制御できたかどうか。

 ただし、制御と成功は同義語ではないことは「不時着を試みたが失敗」という表現からも明らかですが、反対に「墜落」において生存者がいるケースは「奇跡」であるか、戦闘機などでのパラシュートによる脱出に限られます。

 御巣鷹の事故では、エンジン出力のオンオフでの制御を試みた形跡が、コックピットのボイスレコーダーから明らかになっていますが、繰り返された機長の落胆から、それは不可能なことだったのでしょう。

 この不時着を「墜落」と騒ぐ人々がいます。表現の自由は認めますが、航空機事故により家族や、近親者を失った人を思えば、その濫用に憤りを感じずにはいられません。

 オスプレイが「墜落」だとして、今回の乗員はすべて生存しており、別の「墜落」では多くの罪なき人々が命を奪われているのです。

 もちろん、本当に「墜落」ならば、正しい言葉を使うべきですが、レッテル貼りに使うことに眉根を寄せるのです。

 先の参院選挙で、埼玉選挙区に立ち見事に(連続)落選した日本共産党の候補者 伊藤岳氏は

 と報道に噛みつきます。共産主義というカルトの信奉者といってしまえばそれまでなのですが、実際に国政参加を目指しているものとして如何なものかと、こう添えてリツイートしました。

 すると、こう反論。

 着陸に失敗して機体が損傷する事故まで「墜落」と、伊藤岳氏は呼ぶのでしょうか。この非論理的な反論ながら、もしかして無知なだけかもしれないと教えてあげることにしました。

《墜落に対しても「制御不能での着陸」としている。言葉尻を捉える前に文章を読んでくださいな。なお、機体の破損は不時着の定義にかかりませんよ。》

《念のため添えておきますが、いわゆる「墜落」の説明に「着陸」とあえて添えたのは、航空機事故の犠牲者が万が一見たとき、それが本論でもないのに要らぬ不快感を与えないためです。》

 で、後段に絡む輩も湧いて出ました。

 自死遺族のなかには、同じ旅立ちを選んだ他人の報道でも、当時を思い出す人がいるといいます。ひき逃げや飲酒運転も同様です。事件報道で事実を伝えることは当然ながら、レッテル貼りは世の中を殺伐させるのでは、と物書きからの指摘でしたが、私を「ウヨ」に認定して絡んできます。

 しかし、この質問には頭を抱えてしまいました。意地悪な教師による期末テストの「ひっかけ問題」の可能性が残されていたからです。数時間、考えましたがどこにもひっかかりがないと確認し、こう答えます。

 パヨクは自分が何を言っているのか気づかない習性があるようです。観念が事実を上書きするからでしょうか。

 それは伊藤岳氏も同じようです。

 ならば制御不能であった理由を説明すべきですが、それはなく、というより、そもそも最初のリツイートで私がすでに述べていること。文章も読めないのか、パクツイ(パクリ)なのでしょうか。

 国会議員になるのに、国語のテストはありませんが、しかし、各種資料を正しく読み下せない人物が、国政選挙に出馬できるとは、実に民主主義が機能しすぎている我が国です。

 オスプレイに反対することは、本人の主義主張ですが、間違った情報を非論理的に拡散することは、巡り巡って自分の支持者を減らすことになる・・・ということに気づかない。これがパヨクが、リベラル勢力が支持を失い続けている理由です。

 伊藤岳氏だけではありません。

 講談社は安倍政権批判にご執心で、全社を挙げて攻撃を繰り返します。もちろん、民間企業なので何を言おうが自由ですが、その子会社の光文社の写真雑誌「フラッシュ(2017年1月3日号)」では、論拠不明な言説を拡散しています。

 沖縄県で珊瑚礁を撮影し続ける写真家と紹介する牧志(まきし)治氏の「オスプレイは不時着ではなく、完全にコントロールできなくなって『墜落』した」との発言を掲載します。

 論拠はこちら。

「事故機のプロペラは前方を向いていた。これはオスプレイが離着陸の態勢にに入っていなかったことを示している」

 ご丁寧に飛行機モードでの給油訓練の様子を、米国海兵隊の写真共有サイトからコピペして掲載しています。

 プロペラが前方を向いた飛行機モードで、プロペラ破損の事故が起きているのです。仮にこの状態で「ヘリモード」にできたとして、片翼、あるいは両翼のプロペラがない状態で、どうやって機体を支え、着陸ができるというのでしょうか。

 オスプレイに関しては「オートローテーション」の有無が話題にされますが、それがあっても「プロペラ」がなければ意味のないこと。対して「飛行機モード」ならば、エンジンが停止しても「グライダー」の原理で滑空できて不時着できる、とは先の琉球新報でも紹介されています。

 写真家の牧志治氏は、どんな状況でもオスプレイは着陸時に、ヘリモードになると信じているなら、それは『マジンガーゼット』の「パイルダーオン」かなにかの見過ぎによる素人の妄言だとしても、少し「ググる」だけで確認できる作業を、フラッシュ編集部は放棄しているのか、そうでなければ「印象操作」のためだけに、妄言を見逃しているということです。

 さらに牧志治氏は事故現場の様子から

「水面には燃料がほとんど出ていなかったことから、燃料が底をついたと考えられる」

 と断言して見せます。

 航空機が予定外の緊急着陸を決断した際、上空で「燃料投棄」を行うのは常識に属します。

 飛行機には「最大着陸重量」という概念があり、これは予定捕りのフライトを終えたときに、燃料を消費し尽くして軽くなった値で計算し、これを越えると着陸装置が壊れてしまうリスクが高まります。

 着陸装置を丈夫にすれば良い、との指摘は先の戦車と同じで、機体が重くなるのでメリットがありません。

 そのため、緊急着陸が決定すると、余分な「燃料」を高空で投棄して「軽く」するのです。

 つまり、水面に航空機の燃料が散乱していなかったのは、オスプレイが適切な手順を踏んで不時着を試みた証拠のひとつとも言えます。

 もしかしたら、牧志治氏は、「空中給油」の訓練の失敗から、燃料切れという推論を導いたのかもしれませんが、これは「訓練」です。失敗すれば燃料切れになるような訓練は、物資に困窮していた帝国陸海軍でもやりません。機体がもったいない。

 写真家が軍事輸送機の何を知っているかは存じませんが、すくなくともすぐに検証できることばかりをそのまま報じるフラッシュは悪質な確信犯です。

 不時着時にもっとも大切なことは、乗員の命を守ることであり、その次に地表の人的被害を避ける行動が求められますが、両者の重要性には大きな開きがあります。

 彼我を入れ替えればわかるはなし。いざというときに、乗員の命を最優先にしないと宣言する機長に、命を預けられるでしょうか。緊急時は住宅街への被害を避けるため、危険を覚悟の上で海上か山腹を目指す。という方針の航空会社を選ぶことができるか。

 オスプレイのパイロットが、乗員の命のリスクを高めてまで、市街地を避けたのは英雄的行為、と指揮官が褒めるのはむしろ当然の話です。

 先の『ウェイクアップぷらす』で、メイン司会者の辛坊治郎は「俺たちが守ってやっているんだという上から目線を感じる(要旨)」と述べていましたが、彼らは軍人さん。沖縄を護るために駐留しているのです。

 上から目線に感じても、それは職業意識の高さ来るものですし、なにより軍隊が「お願いですから守らせてください」と揉み手下手である国などありません。彼らは文字通り「命がけ」で任務に当たっているのですから。

 繰り返しになりますが、オスプレイに反対するのはその人の思想信条の自由。しかし、嘘の拡散はいけません。とりわけ政治とマスコミがそれに加担するのは、それぞれの自殺行為ですが、日本共産党と翁長雄志沖縄県知事、そして沖縄の主要2紙と講談社がそこへ向かうとするならば、口元がほころんでしまう年の瀬です。

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