リベラリスト安倍と手切れ金

さらに「少女像」です。この「目に見える問題」が、来年以降、韓国に刺さる棘になることでしょう。大切なことなので繰り返します。これは韓国の国内問題です。

 これは一昨年末、いわゆる「日韓合意」に触れた記事の結びです。
 合意発表直後の執筆ながら、それから起こることを見事に「予言」していると自画自賛。もっとも「熟したリンゴは引力により地に落ちる」といったレベルの経験則ですが。

 読み返して、一部文章表現などに手を加えていますが、以下がそのブログです。

日韓「慰安婦」合意に見つける希望とは手切れ金
http://www.miyawakiatsushi.net/2015/12/goodby-money.html

 要約すれば「10億円の手切れ金を支払ったから後は韓国の問題」と割り切れば腹も立たず、高みの見物ができますよということ。

 そしてこれを書いた理由は、いわゆる「ネトウヨ」はもちろん、日本の自称保守、また安倍政権の熱烈な支持者に散見する「安倍晋三=超保守」という認識の否定です。

 日本国内でも安倍首相に対する評価は変化しつつありますが、就任当初から私の評価はリベラリスト。もちろん、世界基準でのリベラルで、日本のパヨクではありません。

 パヨクとは、極論に走り、自らの認める価値観以外を否定どころか排除を目論む左翼や自称リベラルを指すネットスラングで、いわゆる「ネトウヨ」のような名も無き市民(ネット民)だけではなく、作家やジャーナリストにも多く確認できます。

 安倍首相に話を戻せば、彼をリベラルとすることはとりわけ奇矯な見立でもなく、彼を批判する民進党のミスター珍、もとい重鎮である枝野幸男氏も認めるところです。

 枝野氏は昨年、福岡市内の講演で「日本人は本来的にリベラル(要旨)」と指摘します。そして「民進党こそ保守である」という、昨今の保守ブームに乗っかった軽薄なものではありますが、多様な価値観を認め共存してきたという視点だけは正しい。

 ただし、ならばなんでも自民党の政策に反対し、対決姿勢ばかりを強調する民進党の党運営は、多様性からほど遠く論理破綻します。なぜなら、自民党の政策もまた、多様性の一翼を担うからです。一方で矛盾だらけの自縄自縛、自爆を意味する「ブーメラン芸」により国民に苦笑を振りまき、失笑を漏らすのが民進党のレーゾンデートルならば認めなければなりますまい。多様性を誇る日本人としては。

 一神教の支配を逃れた日本人にとって、多様な価値観を認めることは容易いことで、それは同時に社会階層の流動性の背景となり、いまに引き継がれています。

 もちろん、一部に排他性の強い国民もいますが、それを容認することもまた多様性が背景にあるからで、ポリティカル・コレクトネスのような一方からだけの価値観の押しつけをはね除けている理由です。

 安倍首相に話を戻せば、グローバル経済をより拡大するTPPの推進どころか、彼のブレーンは人材派遣会社パソナの会長、竹中平蔵氏や、国内在勤でも社内公用語として英語を強制する楽天の三木谷浩史氏で「保守」からは遠い人物が目立ちます。

 友だちを見れば人柄がわかるものです。

 なにより、野放し・・・もとい自由奔放に活躍される奥様の存在は、いわゆる家父長制を軸としたがる「保守」からは遠いもの。

 先のブログでも触れているように、国を愛する心に政治信条の左右は関係ないのが世界標準。左翼は反体制に近いとは言え、それが反日(反国家)となるのは日本ぐらいです。

 私は「10億円の手切れ金」を高く評価していました。

 いわゆる「保守」ならばできぬ決断です。筋道を大切にしたがる保守には、すでに解決した問題に金を払うこと、すなわち負けを認める、間違いを受け入れることは屈辱で、受け入れがたいからです。

 実際、手切れ金を決断した際、保守層からの相当なバッシングがありました。

 しかし、日本国において10億円は「はした金」にちかく、顔に泥を塗られても、それが日本国の将来を輝かせるためのものなら「ドロパック」と嘯けば済むだけのことです。合理主義者といっても良いでしょう。

 政治家にせよ、経営者にせよ、リーダーの仕事はいざというときに、率先して泥を被ること。とは日本の美学ではないでしょうか。むろん、主君のドロを防ぐために身を挺す部下の美学もありますが、どちらも「大義」のため。

 で、手切れ金は保守層の離反を覚悟した上での英断。いちいち取りあげませんが、当時、批判した人は胸に手を当てるべきでしょう。

 そして韓国は「思うつぼ」にハマります。

 日本にとっての最適解は、ソウルの日本大使館、目の前にある少女像が撤去され、世界中の少女像が撤去され、日韓友好が深まることでしたが、次善は「現状維持」でした。

 昨年8月末に10億円を支払った後も、撤去への動きは一切ない中、日本政府の表だっての批判や行動は皆無だったからです。

 そして釜山への少女像設置についても、釜山の行政が少女像を撤去したときには「静観」していました。ところが、撤去に抗議する市民の声とやらに押され、像の設置を事実上、認めます。韓国の行政機関、すなわち韓国が約束を反故にしたから、対抗策を打ち出したのです。

 韓国政府や韓国におもねる日本の報道機関や、彼らの操り人形同然のジャーナリストらは、今回の対抗策を「厳しい」と批判しますが、大使や総領事の一時帰国は、パフォーマンスに過ぎず、スワップ協定と経済協定の凍結にしても、どちらも「協定を結ぶための準備の話し合い」を止めただけで、現時点では実害のないものです。

 ここでも日本政府は「配慮」をしているから、日韓合意を仲介した米国は静観しているのです。

 オバマからトランプへの政権移行の権力の空白期を安倍政権が利用した。という、まことしやかな風聞が拡散されていますが、いまでも超大国の米国は大統領がいなくても機能する仕組みを持っています。とりわけ「国防」は、大統領の有無に拘わらず機能しなければならず、太平洋の安全を左右しかねない、日韓関係は絶えず監視しており、日本の対抗策も「問題ナシ」とみるから静観しているのです。

 この風聞は、親友とやらに洗脳されていた朴槿恵大統領の韓国よろしく、トップがすべて決済する国という錯覚からで、安倍首相を「独裁者」と見立てる連中の思考回路を炙り出します。

 なにかといえば、自分の価値観を絶対視するあまり、他人も同様だと決めつけ、だから権力の頂点に立ったものは何でもできるはずで、事実、韓国の政治の仕組みはそうなっており、だから米国も日本もそうだ。と。パヨクの妄想ですがね。

 次期大統領も含めた韓国の出方次第では、本当に「手切れ金」になるかもしれません。日本にとって朗報です。ケンカしろ、揉めろと言っているのではありません。そっとスルーするだけの話しです。その上で一方的な要求や恫喝ではなく、「話し合い」ならば応じる。実に当たり前の、外交の始まり・・・に期待します。

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