不良とか仲間いう視点がないイジメ批判


 沖縄の中学校から「イジメ動画」が拡散されたとの話題が、ネット界隈を越えてメディアでも報じられます。

 遠巻きに「観戦」するかの数人の前で、二人の中学生が対戦するわけですが、一方が他方を殴る蹴るの2分間の動画。

 それを見たテレビ朝日「モーニングショー」のMC羽鳥慎一は怒りに震え、カメラ目線でイジメだと断じ糾弾します。

 子供の世界は大人が思うよりも複雑というか、特殊な社会階層があって、いわゆるスクールカーストまでいかずとも、昨日と今日で立場が入れ替わることもあり、端的にいえばさっきまでの親友に、突然ハブられることもあります。

 だから、ここからは一般論。

 当事者が所属する学校の校長は「イジメではない」と主張。暴力案件ではあるが継続的なものではない、という理由です。番組ではこれを猛烈に批判。玉川徹同社社員は、「深く考えていない校長」と断定。

 校長が反論できない状況からの一方的な糾弾で、それを全国放送で晒す行為など、イジメの構図そのものだという自覚はないようです。

 「イジメ」と認めることで、学校や自身の評価が下がることを嫌った、面倒ごとを避けるためだった、という見方もできるでしょうが、子供社会の現実から考えたときに、普段の関係性が伝えられない時点で断じることは出来ません。

 つまり、番組が「イジメの被害者」と断定している殴られた生徒と、殴っている生徒の関係性で、日頃からつるんでいるグループの仲間ならばどうか。

 仮にそれが不良グループだとして、その一味として普段は別の学生を威圧しているとしたら。もちろん、これは仮定の話ですが、マスコミ報道に欠けているのは、子供のなかには「不良がいる」という視点です。

 暴力案件における被害者加害者は動画からも明らかですが、不良というフィルターを通したとき、「イジメ」かどうかは、動画だけではわからないということです。

 加害者側は暴力の理由を「最近調子に乗っていた」と言っていたとか。するとこれまた一般論ながら、女の影を見つけます。もっと些細な事柄の可能性も高いですが。なぜなら中学生男子。くだらいのですよ、これぐらいの男子って。しかもそれを動画にとって拡散するような小僧ですから。

 加害者がつき合っている彼女、一方的に好意を寄せていた女性に声をかけたとか、親しくしたとか、実に些細なことながら、子供にとっては重大事で、あるいは仲間内のルール破りによる制裁的決闘は、むろん社会のルールに違反しますが、子供社会の独自ルールでは多々あること。

 一対一のケンカ「タイマン」を装い、一方がただ身をかがめ殴られている姿からの想像です。実際、加害者側はかかってこいと何度も挑発しています。

 私見ながら、殴られることを受け入れていたようにも見えるんだよね。あまりの痛さに後悔するんだけどさ。

 殴る蹴るという文言からおどろおどろしい印象を受けますが、実際の動画を見ると、加害者は殴り慣れしていないようで、何度も手が止まり、周囲からも「そろそろ」という声が漏れており、そして約2分後に仲間によるレフリーストップがかかっています。

 つまりある種の約束がそこに存在したということです。

 イジメはもちろん、ダメ。で、暴力も以下同文。

 しかし、そういう現実があるんだよね。という視点が欠けたマスコミは、今日も反論できない立場の学校と校長を虐めていました。

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