自動運転の矛盾が教えてくれた民進党はAI政党

 昨日(2017年4月11日)の読売新聞に《囲碁AI未来作る一手》と題し、AI=人工知能による囲碁プログラムから、AIの未来についての解説記事がありました。

 AIを得意げに語るものどもは、AIを悪魔化し、あるいは神として、とんでもない未来がやってくると脅していましたが、最近、やや冷静さを見つけるようになりました。

 AIが人類を支配する悪魔。AIは人類を労働から解放する神。

 前者は陰謀論で、後者はテクノユートピア。

 コンピューターが普及し始めたとき、インターネットが以下同文。携帯電話、スマホでも沸き立つのが想像力なら可愛いものですが、すべては金儲け、商売のために生まれる「論」に過ぎません。

 最たるものが「マスコミ」。すでに三十代後半以上ということわりが必要となりましたが《1999年の七月(ななのつき)、空から恐怖の大王が振ってきて》という「ノストラダムスの大予言」の恐怖煽りや、もう少し現実レベルで言えば、BSE騒動における健康被害の過剰報道も同根で、何かと言えば

「脅せば売れる」

 という恐怖産業がマスコミの一面です。

 詐欺師もテレビショッピングもマスコミも、人の感情を動かす商売であり手口が似てくるのは、哺乳類のクジラが魚の形状になるような適者生存によります。違法性と目的と矜持がそれぞれを分けているだけ。

 水子供養や厄年も同じです。信仰は否定しませんし、縁起担ぎの効能も認めはしますが「○○しないと不幸になります」と他人に言うのは余計なお世話。

 心霊話における稲川淳二のように、恐怖産業におけるストーリーテラーがいて、研究者でも開発者でもない周辺の有識者や、マスコミを遊泳する著名人どもが、台本に沿って恐怖を煽って一丁あがり。

 AI脅威論という虚構の完成です。

 はずれてもドンマイドンマイ。未来のことは誰もわからず、過去を覚えているヒマ人も少なく、その場限りでオーケー牧場。これが従来のマスコミとそこに巣くう文化人どもの手口。

 でも、残念。いまはネットに発言がストックされており、十年も経たずに発言が発掘され、嘲笑に晒されることでしょう。

 AIに話を戻せば、所詮はプログラムで、人間が与えた思考パターンにより機能は決定し、同じく人間が与えたパラメーター(引数ですが命令と意訳するとわかりがよい)で左右が決まります。決して自発的に動いているのではありません。

 実用化(は、もうとっくの昔に始まっているのです)がすすむにつれ、脅威論が薄れるのは当たり前の話しで、OA化が進めばOLがいらなくなるという脅威論も、導入されたOA機器によって、コピーをとるという仕事がOLに与えられたことで霧散したようなものです。

 読売新聞はグーグルが開発した「アルファ碁」を中心に語り、人間が思いもつかない手法でAIは勝利を収めると伝えます。しかし、欠点もあると。それがこちら。

《例えば、10手先まで読めるAIは、10手先に必敗の曲面があると判断すると、その曲面を11手先、12手先に先送りするためだけの手を続ける傾向にある》

 囲碁での勝利をプログラミングされたAIは、負けるというレーゾンデートル(存在意義)の否定を避ける為だけに手段を講じはじめるということです。

 つまりは手段の目的化。

 AIによる自動運転に置き換えて考えてみます。

 不測の事態により事故が避けられない状況になったとき、法令遵守と安全運転を命じられたAIはどう判断するのか。

 事故を避け続けるための思考を続けるでしょうが、物理法則は永遠の思考を許してはくれず、また、貰い事故のように相手の突撃を、こちらの思考は管理できません。

 ブレーキが間に合わず、あるいは物理的故障により対人事故を起こしそうになったときAIはどうするのか。いや、どうすべきか。

人間が運転していた場合の選択肢はだいたい3つ。

・別の場所に車をぶつけて止める
・自分が死なない、怪我しない方法を採る
・相手を死なせないことを優先する
・運命に身を委ねる(目をつぶる)

 4つめはご愛敬。

 人間の場合は、どれが正解かはありませんが、AIの場合はプログラミング時点で、あらかじめ決定しておかなければなりません。AIはプログラムですから、与えられたことしかできないのです。

 安全運転が至上命題ながら、いざというときに「安全にぶつける技術」が求められる、AIによる自動運転が抱える矛盾です。

 法理と倫理からの議論が不可欠の話しで、これらの議論を経た上で開発されていくAIが、人類の支配を目論む訳がありません。

 先の読売新聞の引用箇所には続きがあります。

《まるで、失敗を認めず、自暴自棄になっているようだ。専門家は「とても賢いが、とてもわがままな子供」に例える》

 まるで民進党、いやそのまま民進党です。

 民進党が賢い? ミヤワキも焼きがまわったな。と思うかも知れませんが、物書きの片隅にいる私は「子供」との比喩が「世間知らず」に重なるのです。

 とても賢い、とは子供レベルであり、または「JRの全部の駅名をそらんじる子供」といって、特定分野の賢さは装備していても、総合力が求められる「大人」のそれではない、と読んだのです。

 政治屋としては賢いが、政治家にはなっておらず、失敗を認めず、自民党に水をあけられ続けて自暴自棄となり、日本共産党と手を組む。

 民進党はAI。それは「政権交代」のためだけに組まれたAI。その専門的賢さにより目的は達成されます。しかし、プログラミングされたのは「政権交代」だけ。「統治」の機能はありません。

 野党に転落したならば再び「政権交代」が活きるはず。とはAI脅威論に通じる発想で、プログラムは設計時に前提とした条件でしか機能を発揮できません。

 自律型小型航空機=ドローンに搭載されたAIは、状況を自分で判断して速度や角度を調整しますが、「泳げ」という命令は達成できません。「アルファ碁」にしても盤上が将棋のコマに替わっていては、一手さえも打てません。

「政権交代すれば日本は良くなる」
「自民党政治が諸悪の根源」

 という前提条件のもとに設計された民進党AIの打つ手打つ手が空振りになるのは、そういうプログラムゆえの、人工物の悲しさです。

 政権に、すなわち自民党に反対し、とにかく反対し、反対の反対による反対のための主張を述べることだけをプログラミングされたAIには、反対以外の機能がありません。

 大臣のクビを取れば支持率が下がり、下がった支持率は自分のところに取り込める。という発想も、「政権交代以前」のもの。民主党政権時代など、自滅により大臣の首がポンポンと飛びましたが、だからと民主党政権が浄化されることはなく、むしろ悪化の一途を辿ることを国民は知りました。

 端的にいえば、時代遅れのプログラミング。消費税が3%で固定されたレジスターが民進党というAI。

 長島昭久氏が離党し、遅きに失したと叱りながらも、保守政治家としての期待を寄せる向きもありますし、民進党のなかではマシな人物であることは認めますが、小池新党へのすり寄りも確認されております。

 ちかいものを感じるのかも知れません。小池百合子氏もまたAIだからです。政局戦闘特化型のAI。

 日本新党による政権交代、小泉純一郎時代の自民党をぶっつぶす、そして東京大改革と、民進党など足元にも及ばぬ攻撃力の高さを誇りますが、それでは東京や日本を、どんな都市として国家にするか。本来「政治家」が持つべき目的が見えてこず、「ない」と辛辣な政治評論家もいます。

 既存勢力を撃破する、敵を作り出す能力は秀逸、当代一かもしれません。ドン内田しかり、豊洲しかり。

 では、それで「都政」はどうなったか。私立高校の授業料無償化拡大という、創価高校・・・もとい公明党を喜ばせはしましたが、それは民進党だってできた、革新都政でもできるバラマキ。

 AIは用途ごとに用いるべきで、万能ではありません。

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