北朝鮮三代目の暴発危機から得た3つの教訓(改稿)


 共産主義の教条的な理解からすれば、正当性に乏しい世襲による北の三代目と、民主的手続きを経て選ばれた米国大統領を同列に語る日本メディアの神経に首をかしげますが、それに気がついたときに笑うしかなかったのは、テレビのワイドショーに「北の代弁者」や「半島の擁護者」が事欠かなかったことです。

 専門性を帯びる案件、とりわけ軍事も絡む場合、これはIS(イスラム国)の報道に代表されますが、各番組で「専門家」の奪い合いになるのに、今回は住み分けができているというか、バラエティ豊かな人材が、多方面から「衝突を避けよう」と語ります。

 しかし、衝突という言葉のチョイスには、偶発性が含まれますが、今回の北朝鮮と米国の関係性は、北朝鮮という確信犯への攻撃であり、語弊を怖れずに言えば、もはやリンゴを手放せば地面に落ちるような「お約束」のレベルのはなしです。

 とりわけ「約束は守るもの」という戒律を信じる日本人にとって、約束を反故にしてきた北朝鮮を擁護する理由がみつかりません。

 左翼やリベラル、ひらたくいえばパヨク(劣化した左翼のネットスラング)が、安倍政権の対北朝鮮の対応を、「米国の言いなり」と批判を加えても、内閣支持率が微減で止まり、さらには反転上昇している理由でしょう。

 ついでにいえば「森友騒動」でも、国民の多くは「安倍さん関係ないんじゃない」と思っていることは高い支持率が証明しており、パヨクが攻撃材料とする「説明不足だ」との声など、どれだけ説明を尽くしても消えない、いつもの国民の声であり、もっといえば、現時点で公開されている情報からの説明責任を放棄して、不明確な情報をつなぎあわせて「疑惑」を演出することで、混乱を深めようとしているのはマスコミです。

 森友学園の土地取引には「闇」があり、それは政治ではない各種人権的な利権で、いわば「筋悪物件」で、財務省が手放して手切れにするために、一種の超法規的措置を講じた。籠池さんたちも被害者の側面はあるけど、補助金詐欺疑惑とか、助成金不正受給とかあって自業自得は否めないよね・・・と、ネットでは言われています。

 大山鳴動して鼠一匹であり、執拗に森友学園=籠池=安倍昭恵=安倍晋三と攻撃していたマスコミが、またひとつ信用を失ったという意味ぐらいしかないでしょう。

 北朝鮮も同じく、マスコミの信用を損ねるという役割を果たしました。加えて、日本国民を「覚醒」させるきっかけにつながるという点において、今回の三代目の暴走と騒動に価値を与えることは可能です。

 ミサイル発射時に国民向けに警告を発する「Jアラート」の仕組みなどを紹介した、国民保護ポータルサイトへのアクセスが急増したのもそのひとつ。国防という当たり前に、目を向ける国民がひとりでも増えることは良いことです。

 一方でパヨクなマスコミが珍説を拡散しているので、今回はこれを指摘し、導かれる教訓を3つ紹介します。

 北朝鮮が日本に向けてミサイル攻撃を仕掛けた場合、現実的な話しをすれば、防ぐ術はありません。SM3やPAC3で防ぐには限界があり、飽和攻撃といって、平たく言えば北朝鮮が闇雲にミサイルを撃ってくれば防ぎようがありません。

 技術論を脇に置いたら簡単な話。

 相手が10発撃つとわかっていれば、それなりに対処できますが、何発のミサイルを発射するかを事前通告するような律儀な国は、そもそもミサイルなど撃ってこず、だから対応は後手にまわるよう運命づけられています。

 ケンカにしても、ステゴロ(素手のみ)か、棒を持つか、刃物かパイプイスかのチョイスは、ケンカを仕掛ける側に選択権があり、すべての防ぐためには、常時、フルフェイスのヘルメットをかぶり、防弾チョッキを着て、剣道の防具でも着けておくしかないでしょう。

 ミサイル防衛も同じくで、想定しうる最大の配備をするには、相応の国民負担が必要になるということです。そしてこれができない以上、ミサイル防衛は必要最低限というか、絶対に守らなければならない箇所に集中するしかないのです。だから漏れもでます。

 そもそも迎撃システムは発射時の、振動や熱源を捉えて、着弾地点を予測する仕組みのようですが、先日、公開した潜水艦からミサイル発射した「SLBM」は熱源を補足できないので、見つけたときは手遅れとされています。

 北朝鮮のミサイルのすべてを防げない、さらには、PAC3が守るのは、国会や軍施設などの主要施設で、市民は守らないと玉川徹テレビ朝日社員などは得意げにあげつらいます。これがひとつ目の珍説。

 市民の全てを守るには、防衛費の増額が必要ですし、それは北朝鮮のミサイルの有無を問わずに議論の必要があり、なによりそもそも論で「ミサイルを撃つ奴が悪い」のです。

 ケンカにせよ戦争でも、先制攻撃が圧倒的に有利。

 日本の国防の基本線である専守防衛とは、国土と国民が必ず傷つくといっても過言ではないリスキーな防衛方針だということが、ひとつ目の教訓です。

 回避するには「敵基地攻撃能力」を身につけること。これにより「ミサイルの発射前」に手を打つことができますし、それをちらつかせることで実現する「対話」もあるでしょう。武器を持ちそれを使う能力を得ることと、実際に行使することは全く別の話です。

 次に主に沖縄を念頭にした「米軍基地が狙われる」という説。ジャーナリストの青木理氏がテレビ朝日『モーニングショー』で繰り返していました。

 確かに敵基地の攻撃は、戦争における基本戦術ですが、狙われる基地は座して死を待ちはしません。

 だから基地周辺は危険に晒される、という含意をもたせて在日米軍基地批判しますが、これまたそもそも論で、北朝鮮のミサイルの精度も確認されておらず、基地周辺どころか、一度放たれれば、どこに落ちるかもわかりません。

 ミサイルの命中精度は半数必中界(CEP)と表現され、文字通り「半分」だけの精度で、それ以外は・・・まぁ「どこに飛ぶかわがんねけど、爆発すればそこらみんな吹き飛ぶべ」的なアバウトさ。

 ただしこちらも「撃つ奴が悪い」のです。そして、ソ連という国家があった時代、米軍がなければ、日本は共産化の波に飲み込まれ、ロシアと中国による分断統治されていたかもしれません。

 いまも中国が尖閣を狙い、北朝鮮は拉致被害者を帰さず、ロシアは明確な敵対を打ち出しませんが、北方領土を返そうともせず、領空侵犯を繰り返しています。

 海兵隊も核兵器も空母ももたない我が自衛隊だけで、守り切れはしません。これが現実でありふたつ目の教訓です。かつてフィリピンは駐留米軍を追い払い、その代償として中国の海洋侵略を許すこととなりました。

 最後に、この期に及んでも「対話」を打ち出すのはナンセンスながら、親北朝鮮の識者やタレントどもが声を揃える珍説。

 対話を拒否せよということではありません。北朝鮮の出方次第では、対話による解決もありですが、そもそも対話と圧力による融和策を選択した結果、北朝鮮は核開発と弾道ミサイルを成功させたのです。

 対北朝鮮において「対話ありき」は失敗だと断言できます。そして失敗とわかっている方法を繰り返すことは、バカか自殺か確信犯のどちらです。はい、これが三つめの教訓。

 北朝鮮との交渉で「対話」のみを声高にさけぶものどもは、一切の歴史に学ぶことのない愚か者。そうでなければ自殺願望の持ち主。あるいは「工作員」ということです。

追記:本稿、公開時には防衛費の増額について「増税などして」としていましたが、評論家の江崎道朗先生から以下のようなご指摘がありましたので変更しています。

《逆に増税しないと防衛費は拡大できない、という議論になってしまい、防衛費増加のハードルをあげることになります。よって私は、外為特会の余剰金などの活用という形で提案するようにしております》

本当にその通り。増税と防衛費は「お金」で繋がりますが、全く別の次元の話しで、国が亡びれば増税も減税も意味のない議論です。というわけで、訂正線などではなく書き換えました。

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