反安倍は「濡れ手に粟」の錬金術。加計ありきと同じ構造(改題)

 七月二十四、二十五日に、衆参それぞれで開かれた予算員会の閉会中審査。メインテーマは「加計学園」について。テレビは「報道しない自由」を今回も行使して、テレビや新聞しか見ていない「情弱」は、真実を知らずに、不要な政府への怒りを抱えたまま死んでいくことでしょう。それもひとつの生き方。私はイヤですが。

 今回は「なぜ、テレビは反安倍なのか」について。メディアに左派が多い理由を述べてから、本題にはいるので、いつも以上の長文になっております。

 テレビは反日である。倒閣運動に舵を切った。政治ビラだ。

 ネット界隈を賑わせる言説です。日本に最も多い(当社憶測)とされるノンポリ系リベラルの層でも、ネットに触れているとこう感じているようです。

 ノンポリ系リベラルとは、特段の政治的ポリシーはないながら、自由や平等といったリベラル的な権利だけはなにより大切と考える人々で、義務と責任はちょっと苦手な人々を指す造語です。

 軍隊は嫌いだが、自衛隊は必要という人がいたら、だいたいここに属するでしょう。

 メディアに左派が多いのは厳然たる事実です。新聞社の色分けでも、朝日、毎日、東京などの各種地方紙は左で、琉球新報と沖縄タイムスのような極左レベルの媒体もあります。

 もちろん、新聞は公序良俗に反しない限り何を書いても良く、それを買う人、支持する人がいる限り発刊し続けることができます。日本は言論の自由が保障されているからです。安保法制にせよ、テロ等準備罪が施行されてもそれは変わりません。当たり前ですが。

 安倍首相の広報紙と揶揄される読売新聞の、左右の色分けは微妙で、安倍首相に近いなら保守とか右派かといえば、世界基準でみれば、そこまではいきませんし、韓国から極右新聞と呼ばれる産経新聞でさえ、リベラル色が目に余ることも少なくありません。

 アラフィフ以上の野球ファンなら「王シフト」を覚えていることでしょう。世界のホームラン王、王貞治選手の打球はライト方面に飛ぶ傾向があったことから、野手がライト方面に移動して守備についていたのと同じで、左右の違いはありますが、全体が偏っていると中心がそもそもずれてしまうということです。

 すると日本の報道は、右寄りに見える産経新聞であっても、限りなく真ん中に近い右側で、それ以外はみな左にいるといっても過言ではありません。

 テレビは各新聞社を母胎として産声を上げ、親の影響を受けるのはリアルと同じ。親の教え(思想)を墨守する、朝日新聞のテレビ朝日、毎日新聞のTBSは親孝行といえるでしょう。

 読売系の日本テレビは「巨人軍」に関しては、一卵性親子のようにシンクロしますが、ニュースやワイドショーは左巻で、保守とされる産経新聞系のフジテレビに至っては、ニュース番組、ワイドショーのMCやコメンテーターに左派や、活動家が溢れかえっています。

 親会社である新聞社の意向を「忖度」しないことは、多様な言論へとつながり、決して悪いことではありませんが、おしなべて見ると既存メディアでは左派が多数派です。

 保守派や右派が排除されたという事例を見聞きしますが、そもそも、かつて新しいメディアだったテレビには、伝統や権威の束縛のない自由な才能が参加したこともあり「リベラル」が多く、左派に隣接します。

 また、ロシア文学、民謡などから入った文学者、演劇人も多く、するとエスカレーター式に左へと辿り着きます。

 そもそも大衆芸能に庶民が求めるのは、権力に逆らい、既成概念を壊す、つまりは「非日常」で、社会通念を守る保守的な視点は、エンタメ界隈において不利な戦場だということです。もちろん、政治的な思惑もありますが左派が多い決定的な理由と言っても良いでしょう。

 これがメディア及びマスコミの「下地」です。だからそもそも論で反体制的な空気があり、日本においてアンチ自民はデファクトスタンダード。それが「愛国」と正反対の「反日」にまで及ぶのは日本だけの特殊事情で、これは陰謀論ではなく、GHQと日教組のコラボレートですが、今回はここには触れません。

 それにしても、最近の反安倍、アンチ自民、反日ぶりは目に余るものがあります。そこからネットでは数々の「陰謀論」が拡散されています。

 いわゆる日本に敵対する国家や勢力による「工作員」がテレビメディアを牛耳っているというものです。最たるものが「電通陰謀論」と「在日(韓国人・朝鮮人)支配論」。

 前者は広告収入に頼るテレビ局は、その広告を提供する大手広告代理店に支配されているというもので、「お客」には逆らいづらいという一般的な商取引の感覚も手伝って広く支持を集めています。

 後者については一切の物証をもちませんが、著名人の子息令嬢の入社、つまりは「コネ入社」は事実として多く、とりわけフジテレビアナウンサーは、プロ野球選手田淵幸一氏の息子や、元サッカー日本代表 永島昭浩氏のお嬢さん、藤井フミヤの息子など、男女を問わず著名人の子供を数多く確認します。これらが「在日支配論」の傍証にも見えるのは、彼の国が縁故社会であり、民族的な縁故関係も大切にするからです。

 ネットの都市伝説に詳しい人からすれば

「どっちも同じじゃん」

 と思うでしょうか。それは「電通」がすでに在日韓国人に支配されているという陰謀論もあるからです。

 ただし陰謀論は、与太話として楽しみはしても鵜呑みにしてはいけません。根拠のない陰謀論は思考停止と同義だからです。

 それを体現しているのが

「加計ありき」

 で追及する民進党ら野党と、既存メディアです。

 加計学園の理事長と安倍首相が友達。友達なら利益供与するよね。という陰謀論。そこで思考停止。だからいつまで立っても、例え何回参考人招致をしたとしても議論が平行線となります。

 具体的な証拠は一切あがっていません。

 野党やメディアが証拠のように掲げる、文科省から流出したとの文書も、その出所が前川喜平前文科次官であることは七月十日の閉会中審査で、自民党の平井卓也議員に流出元ではないかと問われ、答えを差し控えたことが証明しているでしょう。違うなら違うと答えれば済むことです。

 前川氏の自作自演なら、証拠としての信憑性に大きな疑義が生じます。また、その文書で「総理は自分の口からは言えないから、私が代わりに言う」と語ったとされる和泉洋人首相補佐官は、七月二十四日の閉会中審査で明確に発言を否定しています。

 つまり、唯一と言って良い物証の「内部文書」も、その内容に疑惑が浮上しているのですが、これもメディアは報じません。「加計ありき」の陰謀論にとって都合が悪いからでしょう。

 こうした情報の取捨選択を「報道しない自由」と呼びます。もはやメディアは「国民の知る権利」を毀損する存在です。かつて「テレビを見るとバカになる」と子供を叱る親がいましたが、いま、それはすべての日本国民に響かせる警鐘です。

 どうしてテレビは「加計ありき陰謀論」を拡散するのでしょうか。

 ひとことで言えば

「視聴率ありき」

 です。スポンサー収入の指標となる「視聴率」のためで、「加計ありき」とは、つまりは「カネありき」なのです。

 もちろん、朝日新聞のように倒閣を社是とするかの活動団体もあり、日本が弱体化し、分断して喜ぶ、中国や北朝鮮の陰が見えることもありますが、加計学園にせよ、森友学園にせよ、タガがはずれたかのような政治的傾斜は、インテリジェンス(情報戦)においてはやり過ぎで、「カネありき」のほうが合理的な説明ができます。

 この視点のヒントとなったのは2つ。

 まず、評論家の江崎道朗先生のフィスブックの投稿。僭越ながら一言でまとめるとこうです。

《安倍叩きは売れる》
https://www.facebook.com/michio.ezaki/posts/1442182159231610

 詳細は先生の玉稿にあたっていただくとして、売れる=注目を集めるからネタにしているということです。反対に視聴率が稼げず、記事を掲載しても週刊誌が売れなければ、誰も書かなくなります。「週刊新潮」までもが、安倍叩きをはじめた理由もここにあるのでしょう。

 北朝鮮の脅威や、フィリピンに増えるISなど、国益を損ねかねず、国際的にはニュースバリューの高い記事が紹介されないのは、売れないからです。
 
 ネット番組『報道特注(右)#29(2017/07/22公開分)』でも、元テレビ朝日アナウンサーで、先日の都議選で自民党から出馬しながら辛くも当選を果たした川松真一朗都議が、

《現場にいるときに政治的な思惑を感じたことがない(要旨)》

 と発言しています。

 つまり「安倍叩き」「加計騒動」とは、「カネありき」で、政治的な目論見も、メディアとしての矜持などそこにはないということです。

 「カネありき」を有力とする見立てに至った、もう一つの理由が「株式会社 泉放送制作」。

 番組制作会社で、ここのホームページにある「制作番組(※実績のこと筆者注)」のページを見てみると、日テレ「ZIP!」、TBS「あさチャン」「ひるおび」「サンデーモーニング」、フジテレビ「めざましテレビ」「とくダネ!」「直撃LIVE グッディ!」、テレビ朝日「モーニングショー」「スーパーJチャンネル」と、ほぼ全キー局のニュース・ワイドショーを網羅しています。

 ネットでは《そりゃ偏るよ》《だから偏見放送ばかりしてたんだ・・・納得!》との声が満載。

 さらにこの制作会社が「在日」に支配されているとは陰謀論も拡散され、だから冷静になれた面があります。

 確かにニュースやワイドショーは「反日」的です。

 しかし、一方で電通なり、制作会社が、在日に支配され、そして反日に染まっているなら、

「日本ホルホル番組」

 とパヨク(ネトウヨの左版)が嘲笑する、日本好きの外国人を紹介したり、海外で活躍する無名の日本人を紹介したり、日本製品を礼賛する「和風総本家」のような番組がはいりこむ余地はないはずです。

 アリバイ作りという見立ても可能ですが、そうした配慮ができるなら、いまの狂信的なまでの反日、反安倍的ニュース、ワイドショーとの論理的整合性はとれません。

 泉放送制作は多くの番組を手がけていますが、すべてのワイドショーやニュース番組を作っているわけではありません。しかし、論調は同じ。ついでに週刊誌も以下同文。

 そして江崎道朗先生の指摘とつなげると「解」が導き出されます。それが「カネありき」です。

 そもそも、ニュースやワイドショーを見る視聴者は、政治に一定の関心があります。なければチャンネルを合わせません。ただし、感心と理解は別の位相にあります。野球好きだからと、すべての球団のチーム事情に詳しいわけではないようにです。

 かつてワイドショーは、芸能人の熱愛や離婚、愛憎の果ての殺人事件などを取り扱っており、その点、昨今の「松居一代劇場」は王道的コンテンツなのですが、「小泉劇場」が政治をワイドショーの主要コンテンツにしてしまいました。

 抵抗勢力を敵と位置付け、自らを正義として、その為には自民党をぶっ壊すと叫びます。仮に善悪が逆なら、ただのテロリストながら、「刺客」をはじめとした騒動を各所で起こし、次々と話題を提供します。この手口は現都知事の「小池劇場」も同じ。

 番組制作側からすれば、「公開情報」ばかりだから、苦もなく尺(放送時間)が埋まります。

 芸能人のスキャンダル映像を抑えるには、根気の要る張り込みが必要ですが、永田町か、党の本部、政治家の後援会事務所はすべて公開された情報で、そのいずれかに張り付いていれば「ネタ」となります。まして「国会中継」は、確実に「映像」がとれますし、政党や政治家からの「情報提供」も期待でき楽ちん。

 楽して視聴率を稼げる。

 この小泉劇場から続く成功体験が、拡大され、今に至る。

 また、国会内の食堂の人気メニューランキングや、稲田朋美防衛大臣の網タイツにダテ眼鏡といった、政治とは関係のないネタを取りあげる手口はワイドショーが得意とするところです。

 これを先の番組制作会社が一社でやっていたとすれば、こんな舞台裏が想像できます。

 TBS「ビビット」、フジテレビ「とくダネ!」、テレビ朝日「羽鳥慎一 モーニングショー」は同時間帯に放送しています。

 ビデオリサーチによる視聴率は誰でも見ることができ、いまでは「分計」と呼ばれる1分単位の測定もされており、つまり、どの番組の、どのコンテンツがもっとも視聴率を稼いだかがわかります。

 これを見た「他局(他番組)」のプロデューサーは、番組制作会社に「あそこと同じ企画で宜しく」と発注するに違いありません。

 放送されているテレビは公開情報で、受けている情報は視聴率で明らか。ここに「ネット」を加えれば、その傾向はより顕著です。

 最近では番組名を「ハッシュタグ」にして、感想を述べながら視聴するネット民もいて、炎上的な内容の番組が放送されると、ヤフーニュースになります。

 視聴率にこうしたネット民の動向を重ね、「盛り上がるコンテンツ」を求めて辿り着いたのが「反日コンテンツ」ではないか、という見立てです。

 すべては視聴率です。傍証としては、反日偏向番組として名高いTBS「サンデーモーニング」の高視聴率が上げられます。

 日曜日の朝、コンスタントの15%前後を稼ぎ、週間視聴率ランキングではトップ10に常駐しています。最近では視聴率がふるわないと噂されるテレビ朝日「報道ステーション」も、番組の方向性は同じです。

 視聴者が政権批判を好むのは、メディアに左派が多い理由で述べた「非日常」です。実生活では権力に類する、上司やお客に逆らったり批判したりは困難ですが、政権批判するマスコミに我が身を投影して溜飲を下げる。

 順風満帆な一般大衆は少なく、深く自省する庶民も多くなく、誰かのせいにしたいのは人間の弱さであり現実で、「政治が悪い」とは昭和時代から繰り返されたエスケープ(言い訳)です。

 だから、「政権批判コンテンツ」は視聴率をとる、ということです。

 そして売れている商品、ヒット作を模倣するのは、すべての業界に通じることです。

 野党叩きでも良いだろう。とは思います。しかし、やはり権力の側を敵にした方がわかりやすいのでしょう。

 そして今の「加計学園騒動」のように火のない所に煙は立てる手口は、朝日新聞が「従軍慰安婦」でみせたものと同じで、前川喜平氏がマスコミに持ち込んだ疑惑の高まった「怪文書」を、最初に報じたのはNHKであり朝日新聞です。

 火のない所に煙は立てる利点は

「永遠に真相が究明されない」

 ということに尽きます。

 野党やマスコミの追及とは、疑惑のないことを証明する証拠を見せろという「悪魔の証明」です。

 あるものの存在は、ひとつ示せば事足ります。季節柄「お化け」がいると証明するには、それを生け捕り(幽霊を生け捕りとはコントですが)できれば良いのですが、「絶対にいない」ことを証明する方法はありません。これが「悪魔の証明」です。

 従軍慰安婦については朝日新聞が認め、虚偽が明らかになりながらも「広義の強制性」論から、現代的価値観からの女性の人権へとつなげ、「可哀想な女性」にまで拡大すれば、そんな人がいなかったと主張することは困難ですし、情緒論に逃げ込まれれば論理的な議論は不可能となります。

 加計学園にしても「友達だから利益供与した」と野党とマスコミは追及し、関与はなかったとの安倍首相の説明を「信じられない」と唾棄し、「なかった」を証明しろといっているのです。

 少し横道に逸れますが、本件において私は安倍首相の説明を支持します。

 これは2017年7月25日の参院での閉会中審査で安倍首相も答えていた「立場を利用した利益供与がないから友達でいられた(要旨)」との価値観を共有するからです。

 首相と比べるのは不遜ながら、職業柄知り得ているお得情報はありますが、それが不公平につながるものであれば、友人はもちろん家族であっても話しはしません。

 丁寧に説明すれば、多くの日本人がこれに共感するのではないでしょうか。

 例えば東日本大震災を筆頭とした震災のとき、配給やトイレの順番を、多くの日本人は整然と守りました。町長、市長の一族郎党に「便宜」を諮ったという話しは寡聞にして知りません。日本人はズルを嫌うのです。

 事の軽重にもよりますし、実際にその権利を得たとき、我が身を律することができるか、また安倍首相の説明を信じるかどうかはともかく、安倍首相の説明はズルを嫌う日本人の善性に基づいたものなのです。

 むしろ、明確な悪事の証拠がないなか、友達だから便宜供与した、と信じる人は、そういう価値観の人だということです。つまりはこういうこと。

「俺が首相なら友達に大学を作らせるね。利益供与するよね」

 ちなみに民進党党首 蓮舫氏のご主人、村田信之氏は、民主党政権時代の2009年「内閣官房専門調査員」の任にあったと、彼のホームページのアーカイブに確認できます(現在はドメインが消失)。

 つまり、蓮舫氏ないしは、そのご主人を任命した当時の民主党の人々にとって「利益供与」は当然ということです。

 あるいは、村田信之氏が余人を持って代えがたい、と主張するのであれば、安倍首相にとっての加計学園がそうであっても不思議ではない、という視点は民進党にはありません。自分の良いけど他人はダメとは、ズルと同じ発想です。

 縁故入社が多く、スポンサーからマンションや高級スポーツカー(ベントレー)を提供されていた日テレ 上重聡アナウンサーのような事例からも、テレビ業界もやはり同じくで、そうしたうす汚い卑怯者、もとい「便宜」を当然とする人々が、安倍首相の発言を信じられないのは当然と言えます。

 人間としての価値観が違うのです。

 本件において安倍首相の説明を信じようとしない日本国民が多いとしたなら、ズルを嫌ったはずの日本人の価値観の変化のほうが気になります。

 「カネありき」に話を戻します。

 火のない所に煙を立てて、火をつけたのは安倍首相、ではないかとの疑惑を主観で語り、やっていない証明を安倍首相に求める。やっていないと答えても信用できない、証拠を出せと迫ります。これでは永遠に真相が究明されることはありません。

 永遠と繰り返すことができる美味しいネタ。「おさらい」と称して、過去を振り返れば「コピペ」で尺が埋まります。わずかな「新事実」で番組を作るても制作コストはほぼ無料でありながら、視聴率が稼げるという一石二鳥。

 テレビ離れが叫ばれ、同時に広告収入が減少し、制作費が削減されるなか、見つけた「打ち出の小槌」が安倍批判、加計ありき。反安倍一色になったのは、テレビ離れと読者離れによる広告費、売り上げの減少が最大の理由。

 なにより絶対に証明できない「悪魔の証明」です。

 疑惑と追及したことが、何もないことだとしても、いずれにせよ証明できないのですから、報道内容について検証などできず、糾弾されることも永遠にありません。

 簡単な言葉でいえば「言いっ放し」が許されるのです。

 公共の電波を使った錬金術。確信犯の「言いがかり」。

 だから、安倍批判の番組で、有識者として紹介されるコメンテーターはニヤニヤと笑います。

 追い詰められた安倍晋三を嘲笑しているのかとみていましたが、自らは攻められることは永遠にない安全圏から、批判のための批判というつぶてを投げ、安倍首相が血みどろになればなるほどお金になる。ついでに権力者を叩く快楽も味わえます。笑いが漏れるのは本音でしょう。

 そして笑いを隠す「恥」すらない。テレビ界隈参加者の人間性が透けて見えるようです。

 カネありき。私たちにできることは、それほど多くありません。

 私は偏向報道、とりわけ「報道しない自由」を行使して、国民の知る権利を毀損する番組、のスポンサーの商品やサービスを、せめてその当日だけでも利用しないことを心がけています。

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