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都立高校卒業後、ソフトメーカーに入社。
現在、ローソンを除く主要コンビニに導入されている、POS端末(レジスター)のソフト開発に携わる。主に公共料金関連支払い機能(わかりやすくいうと、電気料金やNTT料金の受け取りです。そして、今でも私が作ったものが使われています)と、全体仕様のドキュメント化を担当。10年後の自分の給料が見えた時点で退社。まだコンピューター関連が全体的にネクラと見られていた時代の話。
ライブハウス店員、引越業、配送業、パチンコ店従業員など、いわゆるフリーターとして生計をたてる。この時期の唯一の自慢は、どの職場でも、社員になれといわれたこと。また、母親が営んでいた内職工房で十数人のパート従業員の作業管理と工程管理を経験。生産性を上げる方程式を体得するも、仕事ができない人間ほど文句をいうことが理解できなかった為、実の母親による首切りにあう。
その後、人生のリセットボタン押下に成功し、業界中堅(会社申告です)の折込広告代理店に入社。
営業未経験での入社のため毎日実戦訓練として、飛び込み営業を繰り返す。最後は飛び込み先がなくなって、商店街の端から端まで名刺を配っていたが、そんな「努力」をしても営業成績は最下位だった。とにかく最下位を脱出したい!と考えた結果、「自分が客ならだれに発注するか?」と知恵熱がでるほど考えたところ、「自分のことを考えてくれるところにお願いする」と結論づけ、手探りながら「顧客主義」を徹底。すると「買ってください」ではなく、「何をしましょうか」と営業姿勢が一変したことがクライアントに受け入れられ、チラシ制作からイベント企画と引き合いが増え、入社一年後には営業部唯一の企画制作営業となる。その後独学でマッキントッシュ操作からフィニッシュワークまでを覚え、飛び込み営業から集金まですべて一人でこなす。
この頃のキャッチフレーズが「マックからフォーク(リフト)まで」。
業績不振が叫ばれる中、企画制作部門を新設させ、マッキントッシュの導入・増設、簡易印刷機の増台、そして利益を倍々ゲームで増やしていきつつ、飛び込み営業、デザインワーク、商品企画立案、企画制作の進行管理と新人教育、社員研修、集金、営業拡販企画、営業部内構造改革、社内OA化推進委員(責任者)と広範な業務を担当。当時、上司、同僚等の営業部員の2倍の実働時間で3倍の成果をだす(当時はそれが精一杯でした)。そんな生活が約2年続いたころに、業績不振を理由に、予告も通達も説明もなく、社員全員「一律」ボーナスカットが行われたことにより退社を決意。なにより、営業部員の著しい士気の低下が退社の決意を揺るぎないものにした。
しかし、担当クライアントと進めていたプロジェクトがあったので、話し合いの上「円満退社」の約束を取り付け、業務提携として「外注扱い」で既存客の幾つかは持っていって良いことになった。
ところが、退社日に一方的に「白紙撤回」に。
途方に暮れてクライアントに電話したところ、「会社に仕事をだしてるんじゃなくて、ミヤワキだからだしてるんだよ」といってもらい、結果的に客を奪って退社。いまだに元勤務先に出入り禁止扱い。
この時の経験から、「客がいれば商売は成り立つ」ことを実感。
独立当初、SPツールの企画制作が主業務だったが、クォリティの高いツールを制作すればするほど、ツールを提供しても、戦略を提供しないと無駄金を使わせるのではと考える様になり、企画屋からマーケティング業務に転業。
また、独立後の企画屋時代に「顧客主義」の弊害を経験し、「顧客主義」はある一定の状況下においては非常に有効で、支持される手法だが今の自分の状況では「便利屋」に陥る可能性が非常に高いことに気づいた。その経験の反省点を冷静に分析し研究したところ「客に好かれても売れない!〜ノンストレス営業法(TM)〜」を考案し、より多くの悩める中小企業経営者や、営業力の乏しい零細企業のサポーターとして日夜奮闘中。
節税の限界により平成15年10月16日に法人化、それに伴い社名を
「有限会社 アズモード」に変更。
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